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#990 / 2016.02.27

共感と同情・同感の違い

相手が弱っているときこそ、相手の気持ちに共感できていますか?

出来ているという方は、一度冷静に考えてみてください。
もしかしたらあなたが「共感」と考えているものは、本当は「同情」や「同感」ではありませんか?

例えばあなたの友人が、もらい事故で傷を負ったとか車上荒らしにあったと聞いたとき。
重傷ではないにせよ、通院や修理を余儀なくされるというように何らかの被害をこうむったとき、あなたならどんな言葉をかけますか?

解釈は人さまざまでしょうが、『その気持ちはわかるよ』と言えば「同情」、被害者が加害者相手に放つ「賠償責任を取ってもらう」の言葉に対して『私もそう思う』と言えば「同感」です。
なぜなら同情は「自分の側」から相手の気持ちや感情を推し量ろうとすることで、同感は相手の意見に賛成することです。
どちらも「自分の側」から見た意見でしかなく、共感とは呼びません。

共感はこれらと異なり、「相手の側」から相手の気持ちや感情を推し量ろうとすることです。
一例ですが、『大変だったね。まずケガはなかったかい?』というような、「相手が大変な状況にあることを理解しています」という思いで接しつつ、その状況を共有することが大事かと思います。

要はどういう風に接するかという話ですが、その接し方であなたの本性がさらけ出されてしまうのです。

人間は弱っているときほど他人の本性に敏感に気づくものです。
同情されたところで相手はより惨めな思いになったり、あるいは「お前になにがわかるのか?」と反発心すら抱きがちです。
また同感されても、気持ちが沈んだままなのに受け止めてくれず行動だけを後押しされても困る、というのが正直なところです。

相手の気持ちを尊重しない状態での安易な励ましや冷やかし、批判、また必死に考えた解決策は、相手にとって響かないどころか余計な心理負担を背負わせる原因となります。
それどころか、「相手の状況など全然考えず、一方通行で意見を押しつけてくる自分勝手な人間」と受け止められかねません。
逆に、相手と共感できたら、お互いの信頼を強くすることができます。

そう考えると、相手が弱っているときこそ自分の本性が出てしまうものです。
その時にとったあなたの考え方や行動は、他の誰かに見られています。
そしてそれが「あなたの人間性」だと受け止められます。

心の底から共感できるか、安易な励ましに終始するかであなたの本性は見抜かれます。
相手が弱っているときだけではありませんが、共感が相手を助け、まわりまわって自分を助けることにつながるでしょう。

相手の立場になって共感しよう。

追記(2016.02.27記)

できれば、人間性は悪くとらえられたくないものです。
良くも悪くも、相手が感じるものは普段からのあなたが与える人間性の積み重ねです。
あまり難しいことを考えると頭がパンクしそうになりますが、基本的には「相手の存在を尊重する」ことが大事だと思います。

そういう意味では、苦しい時にかけられると嬉しい言葉を知っている人、あるいは人間の痛みが分かる人で、発言するときに「どう答えれば相手の気持ちを尊重できるか」に意識を向けられる人ほど共感する力があると思います。
いくら共感したところで深く考えずに発言したり、「自分ならこうする」とべらべらと正論や高説を垂れるようでは、相手はあなたを受け入れてくれるはずがありません。

弱った相手に対して正論や解決案でぶつかろうとするのは、大間違いです。

自分がされる側になったときに「あなたがしてもらいたいこと」を実行する。それだけでいいのです。

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