トップ > コラム > コラム No.969
 
トップ > コラム > コラム No.969

#969 / 2015.10.05

ハウツー本

私は、極力「術」と銘打った書籍を買いません。
術と銘打った書籍とは、例えば収納術や整理術、読書術、勉強術など、つまりはいわゆるハウツー本です。

とはいえ学生時代や就職後10年くらいはハウツー本を買っては必死に読んでいました。
そのころは学ぶことも多くまた元来もの覚えが不得意なので、人並みに合わせるには他人の寝ているときも励まなければと奮起していたのです。

もちろん今でも学ぶべきことはたくさんあるし、学ぶためにハウツー本で正しい手順を知ってから取りかかることは非常に有効です。
そんなハウツー本を否定する理由はないのですが、ハウツー本に頼りすぎることで人生の本筋から大きく外れてしまうことを恐れたので、極力ハウツー本に頼るのを辞めました。

私がハウツー本頼りを辞めた理由は2つ。
1つは手段より目的指向になったこと。
もう1つは、ハウツー本を精神安定剤と錯覚してしまうからです。

前者は、手段に焦点が当てられすぎていて、読んでいく内に手段をうまくこなすことが目的に陥りがちなことです。
例えば今、東京にいたとして大阪に行かなければならなくなったとします。
行き方も新幹線や飛行機、高速バスなど多々ありますが、もしクルマで行くとして、ハウツー本頼りに陥るとやれ運転技術の巧拙がどうだとか低燃費走行がどうだとか、ヘタすると下道の抜け方がうまいかなんてところにプライドを求めたりします。
しかし、そんなものは自動運転車が実用化されれば一発で存在意義がなくなります。
では自動運転車に負けないテクニックを身につけたとして、そもそもなぜ大阪に向かうのかと考えたとき、ただの打ち合わせだとしたら電話やテレビ会議でもよくて運転技術なんて意味がないのです。
つまり本来の目的を完全に忘れてしまい手段に邁進してしまうと、手段をうまくこなすことが目的化してしまったり、最悪の場合そもそもその手段自体がまったく求められていないことにすら気付かない、なんてことにもなりかねません。

また後者はほとんど読み返さないのに買ってしまう参考書と一緒です。
所持することで安心してしまったり、また一度読んで安心してしまうだけでまったく成長がないのは、本来のハウツー本として使っていないのと同じことです。

そのため手法ではなく目的をどう捉えるかといったようなものの考え方、思想や理念などといった本を読むようにしています。
最近やっと孫子の兵法を読みましたが、経営や人生の生き方など深く考えさせられましたので、少しずつ自分に応用できるところを取り入れているところです。

手段に頼ることは、運転に例えればカーナビを信じて運転するようなものです。
しかしナビと異なるのは、ハウツー本の筆者がうまくできたからといった自分も再現できるわけではないと言うことです。

あくまでも手段が書かれているにすぎず、書いてある通りに行動して全てうまくいくわけでもないのです。
やはり自分が何のために行動するのかきちんと目的を見据え、そして考え続けて動かなければ、ハウツー本に頼ったところで必ず行き詰まってしまうでしょう。

術に逃げない。

追記(2015.10.05記)

運転術とか資格もそう。
手段が目的ではありませんよね。

素晴らしい技術を身につけても、将来的に機械でもできる技術ならあなたは取って代わられるだけでしょう。
人間しかできない技術、例えば感情に訴えること、想像すること、企画すること、それらから新しいものを創造すること。
もし手段に生きるなら、置き換えられない技術で生き残ることを考えたほうがいいでしょうね。

サイト内リンク