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#915 / 2014.09.22

相手にしなくてもよい存在

世の中には本来相手にしなくてもよい存在はたくさんあります。

公道を走るということは、いろんな人にすれ違ったり多くのムダな情報に触れたりして、時折心をかき乱されるものです。

ケンカ腰に近づいてくる、勝手にイライラして粘着してくる、また相手に悪意はないのに自分との速度が違いすぎてこちらがイライラするなど。
悪意のあるなしに関わらず、相手の対応に不快感を感じることは人間なら誰しもあることかと思います。

そういうのには拘らなくていいです。

私達は不快を受ける感情が敏感に発達しすぎているのかもしれません。
きれいで生活しやすい都市環境が整備され、高速交通網が発達し、通信回線や情報端末機器が進化した結果、どんなに田舎でも待たずに情報やものが届くようになりました。
生活が便利になった分、待つことは減り、お届け品は予定通り届き、SNS等のインターネットサービスで共感を得る生活に変わりました。

待つこと、予定通り行かないこと、また共感を得られないこと。
便利さの代償として、そうしたことに過敏に反応しやすくなってしまったのかもしれません。
ほんの少しでも予定や自分で考えていた内容と異なる反応をされただけでイライラさせられ、それに対してより一層心が乱されては意味がありません。

不快感を察知しすぎることは、やめにしませんか?

イライラしたところで自分にとってなにかが改善されるわけでありません。
むしろその程度の存在でしかないのですから、とくに反応せず鷹揚に構えていれば良いのです。

争いやつきあいは同じレベルでしか起こらないのです。
不快感を覚える者に付き合ったり争ったりということは、自分もそのレベルでしかないということになってしまいます。
そういったことはなんら価値がなく時間の無駄です。
そして経験値にもなりません。

合わないことに合わせる必要はないのです。

無理やり相手しない。

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