トップ > コラム > コラム No.851
 
トップ > コラム > コラム No.851

#851 / 2013.07.01

勘違い苦行主義

苦しむことが正しいこととは思いません。

世間では、我慢するとか耐えるとかそういった苦行に価値を見いだす考えを持つ人が多いです。
苦しんだ分だけ自分が成長できるから、ただひたすら努力して耐えるというものです。

私はこの考えを否定はしませんが、完全に同意もできません。

何かスキルを身につけるために勉強をしたり、あるいは丁稚奉公をしたりするというのはわかります。
以前書きましたが、その道のプロとして大成するには10,000時間かかるといわれていますから、相応の時間を費やして努力しなければ身につかないことはたくさんあります。
クルマの運転でも毎日運転している人といわゆるペーパードライバーでは、姿勢や視線の配り方などが運転技術の差につながります。

そうして一人前になるために勉強や丁稚奉公で苦労するのはいいのですが、その苦労自体が自分の成長だけのためだったり目的化してしまっては意味がありません。

ただ自分を苦境に追いやっているだけなのにそれが成長に繋がるから素晴らしい、とか。
自分は人一倍苦労しているから尊いのだ、とか。
楽しんでいたらダメで、苦労しないと自分が成長しないから、とか。

よく考えれば、これらはすべて「自分のことだけ」しか考えていません。
口を開けば「俺が」「私が」のオンパレードは、ただのエゴにしか見えません。

本来なら苦行は悟りのために行なうものと思いますが、それがいつしか自尊心を満たすためだけの手段と化してしまっては、いったい何のための苦行なのだろうかと思うのです。
そんな自尊心を満たすためだけの苦行なんか、やらなくていいです。

苦行主義に走ったところですべての人は修行僧では無いし、私も含め偉人伝で語られる存在にはならないでしょう。
みんながみんな苦労するだけの世界を目指しても、結局誰が幸せになるのでしょうか?

だったら、まず自分が幸せになって、他の誰かを幸せにして、と幸せを連鎖させていくほうがよっぽど有意義だと私は思います。

けして自分の幸せのために苦行主義を辞めるのではありません。
他の誰かを幸せにするために、まず自分が幸せになることを目指すのです。

苦行主義を辞めよう。

サイト内リンク