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#827 / 2013.01.14

ナイト2000

私は幼い頃、アメリカの特撮テレビドラマ「ナイトライダー」でナイト2000に驚いていました。

ナイト2000は夢のクルマとして描かれていました。
停止状態から0.2秒で時速100km/hに達し、人工知能「K.I.T.T.」と会話もでき、何よりも自動運転で走れるクルマです。
ドラマとはいえ、ステアを握らずペダルも踏まずにクルマが動くなんてすごい、そんな時代が遠い未来に訪れるんだろう、となんとなく感じていました。

あれから20年以上たち、自動運転は夢ではなくなりました。

2010年、Google社はクルマの自動運転に関する研究を始めました。
それから3年。
研究ではすでに30万マイル(約48万km)の走行試験が実施された、といわれています。
技術的には運転手がいなくとも運転できる時代になりました。

まだ市販化されていないとはいえ、数年後あるいは十数年後にはドライバーすらも不要となっているかもしれません。
乗用車のみならずタクシー、トラック、バス、あるいは建設機械。
一般公道でこうした車両が走行するのはすべて機械任せ、なんて日も遠くないのだろうと思います。
ついに運転までも人間から機械へ代替されるのかもしれません。

何においても自分ではない何かに代替される可能性がある、ということです。

もっと単価の安い相手が現れたり、そもそもあなたの得意分野の需要が減少すると、あなたの存在意義が揺らぎます。
自分の地位や労働を誰かに奪われる可能性はあるということです。

ただ、考えてみればいつの時代も型に決まりきった生き方はないものです。
縄文時代に終身雇用なんてなかったでしょうし、生まれ育った地域から一歩も出ないで老いていく時代でもありません。
たかだか親世代、もっといっても祖父母世代くらいから始まった慣習を金科玉条とすることも無いと思います。
前世代の通りに生きなければいけないなんて、誰が言ったのでしょうか?

代替されることを不安視するより、変化を楽しむくらいでいいのかもしれません。
あなたの経験に加えて、好きなことや強みを見いだしていくことが大切なのではないでしょうか。
あなたの幅を広げることで、新しい未来が見いだせるならば、やらない手はありません。

決まりきらない生き方をしよう。

追記(2013.01.14記)

人間が運転しなくてもいいのなら自動車メーカーも淘汰されるかもしれません。
エンジンではなく運転システムの善し悪しで走行性能が変わるのなら差別化できるのはボディデザインだけ、なんて時代が訪れるかもしれません。
もちろん妄想ですが。

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