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#788 / 2012.04.14

迷わないための道しるべ

迷うのは、自我が強くですぎているときかもしれません。

ここに行きたい。
そこにも行きたい。
でも、あそこは通りたくない。
どこにも行き場がない。

気持ちはわかります。
苦しみは味わいたくないけれど快楽は得たいのは、私も含めた動物すべての本能だと思いますから。

いつ抜けるのかもわからない渋滞や、全く舗装のされていない夜の林道。
自分の横幅ギリギリの細い道だって走らなければいけないときもたくさんあるでしょう。

ここで自分のことだけを考えてしまうと、突然すべての道がふさがれたように感じてしまいます。
誰も助けてくれない、自分だけが被害者、そして現実の厳しさに足がガクガク震えだしそうな感覚にとらわれるでしょう。

私も仕事やプライベートで何回もこうした問題にぶち当たりました。
今も模索中ですし、これから何度でもぶち当たるでしょう。

最適解かどうかはわかりませんが、一つだけわかったことがあります。
自分のために動こうとすると、後で余計に追い込まれるのです。
そう考えたとき、自我が強すぎるとそれに縛られてしまうものだなと思ったのです。

誰かのために動けば、そこまで迷わずに済むのかもしれません。

極限状態に追い込まれたとき自分のために動いていると悲しくなりますが、誰かのために頑張れば後で報われることが多くなります。
極端な話、誰かに「ありがとう」と言ってもらえるかです。

私もそうですが、こうした迷いに陥っているときはなかなか発想が切り替えられないものです。
頭でわかっていても心が納得していないので、堂々巡りに陥ってしまいがちです。

自分が捨てられない、というか無意識のうちに何かに執着してしまっているのです。
悲しいかな、その執着が何なのかも本人には理解しきれていないことも多いのです。

こうしたときに対処しきれずに悩んでいる人達はたくさんいます。
とりあえず、悩んでも解法が見つかるわけではありません。

迷ったら一度、その場で寝てしまいましょう。
脳がアクセルとブレーキを両方かけているような状態ですから、脳を休ませてあげるといいのかもしれません。
もちろん専門家ではないのでこれが最善かと言われればそうではないはずですが、しないよりはマシなはずです。

そして苦しいかもしれませんが、誰かのために動いてみましょう。
誰かのために働くでもいいし、誰かのために時間を差し出すのでもいいです。

自分を忘れることは、イコール死ではありません。

これからもずっと生きていけるのです。
そもそも現世に生まれてきたことすら奇跡なのですから、今生きているだけで感謝です。

迷ったら一度休んで、そして自分ではなく、自分が活動することで喜んでくれる誰かのため動くことに意識をシフトしたほうがいいのでしょう。
環境を1日2日で変えられるものではありませんが、それに比べれば自分の意識を変えることはたやすいものです。
迷い道から抜け出せるよう、一緒に頑張りましょう。

自分を忘れよう。

追記(2012.04.14記)

仕事とか人間関係とかに置き換えると思い当たる人も多くいるのではないでしょうか?

むしろ自分に対して書いているところが多くあります。
こうしてはき出すことで、心情を安定させている自分と考えを整理している自分と両方います。
はき出すって大事ですね。

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