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#783 / 2012.03.11

311

東日本大震災から1年経ちました。

あの日、私は福島県白河市内で事務作業をしていました。
そこに突然の緊急地震速報が鳴り響きました。

じき何もできないまま震度6強の激しい縦揺れが市内全域を襲いました。

机の中にあわてて身を隠すも揺れは1分以上続き、至る所からガラスの割れる音が聞こえてきます。

館内に響く悲鳴。
容赦なく床に打ち付けられる落下物の破壊音。
街全体に響き渡る低いうなり声のような振動音。

そろそろ収まってもいい頃と思ったのもつかの間、更に強い縦揺れがおそってきました。
例えるならダートコースに全速力で突っ込んだような激しい縦揺れ。
いつ建物が崩壊するかわからない恐怖にかられました。

正直、死を意識しました。
自分はここで圧死するんだ、と。

何もできないまま、死を意識する数分間。
もしかしたら実際の時間は1〜2分だったかもしれませんが、その時間が半永久的に続くかのような錯覚にとらわれました。

しばらくして揺れが収まり、立ち上がることができました。
そのときの私の思いは、ただただ「僥倖」の二文字でした。

揺れが静まって建物の外に出れば、すべての活動がストップしていました。
携帯電話でやっとつながったYahoo!Japanのサイトを見れば、宮城県栗原市で震度7を記録したとのこと。

その後市内に出てみれば、同じ市内でありながら全く見たことのない様相が繰り広げられていました。

道路を埋め尽くすたくさんの自動車。
明かりの消えた信号機。
停電で出られなくなったコイン駐車場入り口には、ゲートバーがねじ曲げられています。

そこかしこから救急車両のサイレン音が聞こえ、コンビニではすべての陳列棚から商品が散乱。
城跡まで歩いてみれば、堅牢に組み上げられていた石垣が広い範囲で崩落していました。

ただならぬ状況をカメラに収めつつ、幸いにして無事だった自分のクルマに乗り込み帰途につきました。
しかし当然、帰り道もひどい状況でした。

幹線道路にかかる橋は壊れ、水道管を埋設した道路は陥没したか路上1m程度まで持ち上がっていました。
行き場の無くなったクルマ達が普段誰も通らないような農免道路にまで押し寄せ、田畑しか隣接しない田舎道で大渋滞が起こっていました。

その後、地域全体で停電、断水、食糧不足が発生。
ひどい地域では3週間近く給水を余儀なくされました。

ことガソリン不足は深刻で、たった数リッター給油するのに早朝未明の寒いときから並ぶ状況でした。
同時に首都圏ドライバーがガソリンを買いだめしていく報道を聞きながら、苦々しく感じることもしばしばありました。

そこに加えて発生した福島第一原子力発電所事故。
3月15日から数日間、市内からクルマや人の姿が一切消えてしまいました。
30万人規模の都市ですら、ゴーストタウンと化していました。

あれから1年。

観光や物産はいまだ低空飛行を続け、沿岸部の警戒区域内では行方不明者の捜索すらも終わっていない福島県内ですが少しずつ復興は進んでいます。
むしろ原発事故が暗い影を落としていて、少なくとも30,000人以上が県外へ避難してしまいました。
そして、東電は福島県内の会津と県南地方を除いた一部地域しか賠償しないなどと表明し、あいかわらずの独善姿勢を打ち出しています。

自宅に東電から1通の封書が届きましたが、「誠意をもって迅速かつ公正に対応してまいる所存」と謳われた書面が同封されていました。
ここ1年で誠意のなさが知れ渡った今となっては、こんなに薄っぺらい言葉など何のうれしさも感じません。

賠償額も成人一人に対し8万円という根拠のわからない金額で、まったく誠意の感じられない内容です。
国や大企業すらも不誠実きわまりないことが世間に明るみに出て多くの人に見限られてしまったことも、この1年で大きく変化したことではないでしょうか。

嘘ばかり垂れ流す国と東電。
原発西方60kmの郡山市まで逃げ出していた原子力保安院。
支援物資も持ってこずに被災地上空をブンブン飛び回っていただけの報道機関。
東電で作られた電気の恩恵を受けながら、福島県のことは福島県内で片付けろという関東在住者。

「絆」という言葉を聞いても、当時の状況を思い出すたびブラックジョークにしか聞こえません。
震災からちょうど1年の今日は各メディアで報道特番が組まれていますが、どこも美辞麗句ばかりでうんざりです。
瓦礫などは最終的に福島で処理するしか無いとは思いますが、他人事すぎる姿勢に「絆」の言葉が嘘に聞こえて仕方ありません。

それでも、光明はありました。
ボランティアで被災地入りした方々、原発周辺で作業されている方々、自衛隊の方々、海外から支援をしてくださった方々。
そして地域再興に取り組むたくさんの方々がいることが福島にとって大きな財産なのだ、とあらためて気づかされました。

幸い、今年の311は大きな災害もなく終わろうとしていますが、いつどの地域で災害が起こるかわかりません。
この震災を感動ストーリーで終わらせずに、震災対策には何が必要なのか、どう対策しなければならないのかを考え、ぜひ行動を起こしてください。

救いの手を差し伸べるのが人間であれば、我欲に走るのもまた人間だと言うことです。

過去を美談で無く教訓にしよう。

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