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#745 / 2011.06.26

モンスター被災者

東日本大震災から100日以上が経ちました。

震度6強をくらい震度5クラスの余震にも耐え抜いてきた地域に住んでいる身ですが、生活自体はとっくに元通りに戻っています。
幸いにして自宅や親戚、友人等にも甚大な被害は無く、いまだに地元テレビ局で放射線量数値を発表している以外は普通の生活が戻っています。

あれから福島県内各所を見て回って、さまざまな方に見聞きしてきました。
詳細は後述する追記にまとめましたが、聞き逃せない話もいくつかありました。

その一つは「モンスター被災者」です。

実際に「モンスター被災者」という言葉を発した人はいませんでしたが、自己利益だけを要求する人達に「モンスター」の蔑称を冠する風潮に従って、ここでは勝手にそう呼びます。

自宅が流されたり、警戒区域指定で自宅に立ち入れない人達がたくさんいる現状は今でも続いています。
確かにかわいそうなのですが、なかには被災を免罪符にとんでもない要求をするヤクザまがいの被災者もいるのが現実です。

一言で言えば要求水準が高いのです。
ある被災者は県の借上げ住宅に水道・照明・ガスコンロがついているだけでは飽き足らず、エアコンをつけろと要求してきました。
またある被災者は電気代や水道代を払いたくないからと、仮設住宅への入居を拒みました。
なかには噂ですが、避難所や旅館を出たのに食事のときだけ顔を出すという被災者もいるということです。

ここぞとばかりにせびってやろうとしているのか、かつての潤っていた生活水準を取り戻してやろうとしているのかはわかりません。
ただ、「被災者様ヅラ」して要求してくる姿勢は全くほめられたものではありません。

避難先にて横柄な態度でいる被災者もいるらしく、被災地域住民のイメージを貶めてしまっているのです。
私自身も同じ県内の被災者で行政にいっさいの要求をしたことが無いのに、こうした連中と一緒くたにされるのではと考えると、非常に悲しくなります。

また、家屋に被害が無かったのにも関わらず被災証明を交付してもらう人も出始めました。
被災証明があると東北地方の高速道路を無料通行できるために、わざわざ長い列に並んで発行してもらうのだそうです。
そして役所側も捌ききれないから、被災状況を厳密に確認するわけでもなく口頭で申請を受けてその地域の住民であれば誰でも発行している状況です。
運転免許を持っているというだけで、運転しなさそうな老婆までもが列に並ぶ光景を見たときには、本当に浅ましくて哀れな人達だと感じてしまいました。

こうした状況は福島県内だけでなく、岩手、宮城の沿岸自治体の他、茨城県内38市町村でも行なわれているようです。
最近、一般道を走るクルマの数が減ったような気がしていたのですが、納得しました。
そういった問題を受け、青森県では、みちのく有料道路と青森空港有料道路で被災証明書を使った無料通行を認めないことを決めました。(河北新報 2011年6月24日付

これら以外にも見聞きした話はたくさんあるのですが、いずれも度を超していて、手を差し伸べることでかえって自らの復興を阻害しているとしか感じませんでした。

たしかに、タダでもらえるならばもらいたくなるのが心情です。
とはいえこういった場合、往々にしてさらに要求がエスカレートするのがオチです。
こういうのは「復興支援」では無く、「たかり」というのです。

「与えれば与えられる 奪えば奪われる」とはよく言ったものです。
ただ、解釈通りに使ってはいけない言葉だとも思います。

与えるためには自分の余裕も必要だし、かつ相手を活かすために使う視点が必要です。
慈悲の心から「なんでもかんでも与えるだけ与えろ!」では、活かす視点がおろそかで与える側も与えられる側も不幸になります。

また奪うことは、短期的な利益しかもたらさず長期的には損失にしかならないことも知る必要があるでしょう。
自分の状況を盾にして「なんでもかんでも寄こせ!」では、いずれ自分の力で立ち上がることすらもできなくなります。
世の中は上手くできていて、自らで切り拓こうとしない人間は惨めな状態で死んでいくものです。

かわいそう。
被災した。
失った。

他にもあるでしょうが、特定の言葉で思考停止してしまうと物事の本質が見えなくなってしまいます。

むやみやたらと手をさしのべればいい訳ではありません。
相手の様子を見ながら与える必要があるでしょう。

同様に、与えられたということは一種の借りを負ったということです。
今後、日本や台湾で大震災があったときに「あのときはありがとう」と恩返しする必要があるでしょう。

一方的に贈る、一方的に贈られるでは、うまくいかないのです。

一方的に贈らない、庇護されることを当たり前に思わない。

追記(2011.06.26記)

震災、津波のみならず、収束しない原発事故。
いずれも福島県内のごく一部の地域だけど、すべて実際に起きていることです。

自分がいるのは、原発から直線距離で約60km離れた街。
原発立地町村では無いから、交付金の恩恵はまったくなし。
自身が生まれる前に原発が稼働していたのだから、誘致反対も何もなく、気がついたら原発と共存していました。
福島県内、とくに東白川郡内の自治体は原発もなく放射線量も低いのに、地元でなく関東へ送るための高圧電線が何kmも敷設されています。

正直、とばっちり感しか感じていません。

60kmといえば、東京駅から直線距離で神奈川県平塚市くらいまでの距離です。
そして福島県は全国第3位の面積があり、東京都の実に6.3倍もの面積を持つ県です。
東京・神奈川・埼玉・千葉の1都3県の合計面積よりもさらに広いのが、福島県です。

それだけ広い県ゆえ影響ある地域も全域ではないのに、県内全域がダメなような表現をする人が多いことに辟易しています。
県外から聞こえる「福島は原発交付金等で恩恵を受けてきたんだから、結果を受け入れろ」という声には、土地勘も無いままに福島県内が一緒くたに論じられることに対しての反発心があります。

個人がいう戯れ言ならまだしも、大学教授や科学者、あるいは政治家といった名の通った人間が半ば感情的に発言してしまう。
様々な人間が、テレビ、週刊誌、ブログ等で気軽に言ってしまうことの影響力はとても計り知れない恐ろしさがあります。

今、静岡市産の一部の製茶から国の暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された旨の報道があります。
静岡の人達は、おそらく本心では「自分たちに非が無いのに、なぜ?」と感じていることだと思います。

福島県内の原発を持たない55市町村民の多くも、その感情が大部分を占めています。
少なくとも私が行く先々でさまざまな方から話を聞く限りでは、まったく同様の思いを聞くことができました。

周辺自治体内にある小中学校では、プールが使用できずに他市町村にある屋内プールを借りて今年度は1〜2回しか水泳の授業を行なえません。
また先日、野菜販売のお手伝いをしたときも、しっかりと保健所のチェックを通しています。
別に押し売りしてはいません。

それでも放射能に対して必要以上に怖れ、なかには福島県民全員が被曝者と決めつける人間もいます。
そういう人間に説明しても聞いてもらえないですし、正しい情報がきちんと伝わらないことには収拾もつかないでしょう。
私自身ができることはほとんど何もありませんが、推論抜きの現実のみを伝え続けていくことが必要なのでは無いかと考えています。
プロではない人間の浅はかな推論は、混乱しか招きませんからね。

私自身はこれからも被災地にいますが、国や東京電力にたかる気はありません。
むしろ、ボーナスを受け取り国民に負担を要求する国や東京電力社員から感じられるたかり根性に、反吐が出る思いです。

これからの原発事故収束に向けて、ことの推移を見極めたいと思っています。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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