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#693 / 2010.07.05

待たされる重み

急いでいるときほど、じれったいものです。

長い赤信号、
無駄に遅い先行車両、
駅のすぐそばに設置された踏み切りの待ち時間、
きっと、皆さんにも経験があると思います。

自分が主導権をとって行動できないからか、待つことは非常にストレスを感じるものです。
さらに待たされていると思うと、余計にイライラを感じさせられます。

でも、待たせているほうは、あまり長さを感じていません。

例えば、電話をしているとき。
こちらの都合で「少々お待ちください」と伝えたとします。

待たせる側は「ちょっと待っててね」程度の気持ちです。
しかし、この「ちょっと」はどれくらいの時間でしょうか。

仮に「ちょっと」を1分とします。
1分と聞くと短い気もしますが、実際に1分間何もしないで待ってみてください。

結構、長いと感じませんでしたか?

1分どころか、30秒待つだけでも限界と感じたかもしれません。
しかし待たせる側は、待たされるイライラはありませんから、せいぜい「お待たせしてごめんなさい」というのが関の山です。

この意識の差は、とても大きいです。
待たせる側の「ちょっと」が、待たされる側にしてみれば「とんでもなく」だったりするのです。

クルマで言えば、渋滞の先頭に立っているときなどは注意が必要です。

クルマ以外で言えば、
ATMやレジ前でモタモタ財布を出してしまうとき、
集合時間に自分だけ遅れてしまっているとき、
それから、電話やメールでの折り返しの連絡を怠っているときは、相手にとんでもなく待たせてしまっていると考えて間違いないでしょう。

待たせてしまうときは、待たされる側への配慮が必要ということです。

待たせていないかの感度を磨こう。

追記(2010.07.05記)

クルマだったら、十分早く出発するとか、素直に道を譲ることで十分対応できるのではないかなと思います。
ちなみにシチズン意識調査によると、信号待ちでは過半数が30秒待たされたらイライラ。しかも女性の方が気が短いようですね。

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