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#68 / 2001.09.05

天寿

人間は死んだら、どこへ行くのでしょう。

よく云われているのは、天国に行くという話です。
星になったという話も聞きます。
あるいは、悪いことをすれば地獄に堕ちるとも聞きます。

いずれにせよ、天寿をまっとうして現世からいなくなるようです。
でも、生きていた事実は残ります。

クルマはどうでしょうか。

田舎の町工場には、廃車となったクルマたちが高く積み上げられています。
ドアがなくなっていたり、エンジンがおろされたり、なかには、原型をとどめていなかったりもします。
長期間雨にさらされて錆びついた体は、とても天寿をまっとうしたかには見えません。

天寿って何でしょう。

私は、天寿とは誰かの役に立ちながら生きることだ、と考えています。
そもそも天寿なんて、十人いれば十の定義があるでしょうから、これが真理とは思っていません。

与えた、支えた、生み出した。
だれかひとりでも役に立てば、それは幸せにつながるでしょう。

もちろん、それらは不幸とも紙一重だから、みんなが幸せにというのは難しい。
与えているつもり、支えているつもり、生み出したつもり。
それで迷惑がかかっていれば、すぐにやめる事で相手が幸せになることもあります。

そう考えた時、町工場のクルマ達は天寿だったのか。
それはオーナー次第でしょう。
動かなくなるまでオーナーが乗りつづけていれば、それは天寿をまっとうしたといえます。
志なかばにして廃車にされたクルマでも、オーナーの役に立ったのなら天寿だったのです。

手放すときは、そっとひとこと添えましょう。
ありがとう、と。

今、私達は生きています。
こんなところで死んでいられません。
天寿をまっとうしたなんてセリフには、まだまだ早すぎます。

今こそ、誰かの役に立ちましょう。

誰かの幸せになろう。

追記(2001.09.05記)

クルマの残骸は大きなゴミになってしまいます。
今でこそ、部品の大半をリサイクルできる設計になっています。
とはいっても、少なからずゴミが出てしまいます。

10年以上も前に製造されたクルマだと、なかなかリサイクルの対象にはならないようです。
かといって、クルマを3,4年でコロコロ変えることは、結果としてゴミを増やしかねません。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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