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#661 / 2009.11.23

ふつう病

あまりの「ふつう」に、食傷気味です。

これくらいのクルマに乗るのが「ふつう」。
これくらいの収入額と支出額が「ふつう」。
携帯電話を持つことも「ふつう」だし、とにかく自分の生活圏内にある事象すべてが「ふつう」だと誰しも考えています。

「ふつう」とは何でしょう?

言葉だけ独り歩きしているようにしか思えないのです。
そのイメージするところは十人十色なのに、「ふつう」といえばイコール平均的だと思わせたがる人が多くてうんざりです。

クルマを例に書いてみます。
私は軽自動車も乗るので、何の抵抗も無く自動車だと認識しています。
ところが、軽自動車は論外ととらえる人もいます。

そういった人は衝突安全性が云々とか、みすぼらしい等を理由に論外と決め付けがちです。
でもそれは、あくまでも植えつけられたイメージから発された言葉でしかありません。

大型トレーラーにぶつけられれば衝突安全性関係なくクルマはグシャグシャになりますし、高級車が「ふつう」であれば軽自動車は「ふつう」ではないと考えてしまう気持ちもわかります。

「ふつう」の前提が違うのに、正しさ勝負をしても意味がありません。

そもそも「ふつう」なんて、人間の数だけ存在するのです。
今なら、地球上に68億3,000万通りもの「ふつう」が存在することになります。

68億以上もの「ふつう」があるのに、あなたの「ふつう」が平均値なわけがありません。

いい加減、いい大人なら気づきませんか?
「ふつう」と思い込まされているものは、実は自分の周り数名の平均値とか、メディアが我々をうまく洗脳するための詭弁です。
つまり「ふつう」なんてものは、一切存在しないのです。

我々人間一人ひとりの思考や持ち物までも、ありもしない平均値にあわせる必要はありません。
あなたは大量生産物ではないのですから、つまらない平均値に一喜一憂せずともいいのではありませんか?

代えのきかない唯一の存在であることを思い出そう。

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