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#651 / 2009.09.21

衰退する理由

私自身いろんな地方へ行きますが、こと地方は衰退が著しいです。

若い世代をつなぎとめたいのに、古いしきたりから脱却できず自分たちの意識を変えられない。
年長者みずからも知恵を使わなければならないのに、若者の意識変化を嘆くことしかしていない。

各地で叫ばれている若者離れは、年長者の努力不足が原因ではないか。
年長者が我がままだったり、年長者だから物言われぬ立場にいられると思っている年長者は多いのではないか。

こう、感じることが最近多いです。
もちろん、人生の先輩方ですから参考になる意見も多く、闇雲に邪険にしていい訳ではないのです。
しかし100の意見があれば、そのうち50、もしかすると70ぐらいは聞かなくても良いのではないかとも思っています。

老人だからすべてが敬われる方ばかりとは限りませんし、団塊世代で大多数だから正義とは限らないです。

祭りなど地域のイベントがあっても、若者は参加しにくくなっています。
若者にしてみれば、仕事の都合で参加できない、休みには家族サービスもしないといけないと、こんな本音が出ます。

翻れば、祭りをしたがる老人達は酒飲みの口実がほしいだけだったりします。
若者が、他人の遊びのためになぜ自分の時間を提供しなければいけないのか、と考えると離れるのもやむなしと思うのです。

いいかげん老人会の寄り合い的な意識から脱却しないと、何百年の歴史があったとて衰退するのみです。
新しい事に挑戦し続けずに現状に安住するのみでは、新しい風が入らず進歩しません。
伝統を錦の御旗にして、過去のやり方にひきずられているうちは、衰退は止まらないのではないか、と強く感じるのです。

私の知る街では、神輿の担ぎ手不足から「担ぎ手募集!」なるポスターを作りました。
こういったポスター、近年で初めてのことなのだといいます。
しかしながら、ポスター程度で解決する問題ではないと思うのです。

毎年、人手不足をなげいて他地域から人をかき集めることはできるかもしれません。
しかし10年後20年後、あるいは30年後まで考えてもっと良い仕組みをつくらないとならないはずです。
さもないと、少子高齢化が加速し祭りすら開催できない地区が1つ2つと現れ、いずれ祭り自体がなくなってしまうでしょう。

30年後は墓の下だろうから関係ない、というのは身勝手な論理です。
神輿を担がない若者が悪い、観光でPRしない行政が悪いと誰かのせいに押し付けては、結局、総倒れしてしまいます。

すべての年長者がそうではないのですが、悪いのはなんでもかんでも他人事と考えるのは、もはや病気です。

近年、教育時間短縮で深く考えることをしない若年層を「ゆとり世代」などと呼ぶようになりました。
ところがいまや老年世代も、カッとなって殺人をおかす時代です。

いつから年長者もゆとり世代になったのでしょうか?
何十年も人生の先輩であるはずなのに、短絡的に他人のせいにしたがるのは、後輩として見ていて情けなくなります。

こうした責任転嫁は、自動車会社や経済評論家なんて人達もまったく一緒なのかもしれません。
趣味の多様化とか携帯電話の普及うんたらで若者がクルマを買わなくなったなどと結論付ける。
あげく、若者の好みがわからないからアンケートしたいとか意見を聞きたいなんてぬかしはじめる。

派遣切りをしている自動車会社がよく言ったものです。
なぜウチのクルマが売れないのがなんて、自社内の派遣工員にでも聴いたらいい話です。
きっと「私たちの生活も知らずに何を言ってるの?」と呆れ顔をされるでしょう。

おめでたいものです。
危機感はあるくせに、後輩の意見は一切無視。
自分が理解できなかったり都合が悪くなれば、「世代間の意識格差」なんて理由で現実を直視しないのです。
もしかしたら現実を知っているのかもしれませんが、とりあえず買わない人や若手のせいにして済まそうとしているようにも見えます。

年金や医療福祉費もそうでしょうが、この国は年長者世代で沈むでしょう。

大多数の後輩たちはそれに気づいています。
なぜそれを指摘しないのかといえば、意識を変えようとしない年長者相手に指摘しても無駄だからです。

言ってみれば、後輩だって暇ではないし義理も無いわけです。
そのかわりちょっとずつ距離をおいていくのです。
一人、また一人と静かに去っていくのです。

そして相手にされず、それすらも気づいていない事態に陥ります。

そうではありませんか?

死ぬまで好きにやりたい。
世代人口が大多数なので、我々が主役。
でも都合悪いことは、下の世代が自分勝手に振舞うからいけない。

そんな意識で後輩たちが続いてくれるわけがありません。
そしてまた意識が凝り固まっているから、変わろうとも思わない。
すると変わらないものを外からの力で変えようと思われなくなるのです。

積もり積もれば、自省せずなじるだけになっていき、結局、衰退してしまいます。
言い換えれば、淘汰とも言います。

クルマだけに限りません。ほとんどの国内産業もそうではないでしょうか?

過去の経験どおりにやったところで売れないことはもはや自明です。
いくら知名度の高い会社勤めだろうとも、利益が下がり続けているのはもう斜陽にあるということです。

過去を捨てられなければ、復活は二度とないでしょう。
売れないだのなんだのといい加減に買い手が悪いかのような意識をやめないと、早晩中に立ち行かなくなるでしょう。
ことクルマなんて、大半の人にとっては憧れでもなんでもなく、いまや金喰い虫として見られがちな商品なのです。

脈々と続いているから変えなくていいというのも、怠慢にすぎません。
伝統や不変なんてまやかしです。
そんなもののうえで胡坐をかいていれば、相手にされなくなります。

一度、あなたの存在がどうなのか考えてみるのも手だと思うのです。
本当に周囲のためになっていますか?
自身が阻害要因なのではありませんか?

私も含め、誰だって自分を直視したくはありません。
でも、自分を戒めてくれるのは、最終的には自分しかいないのです。

なかには戒められずうまくいっているという人もいます。
しかし、誰からも戒められないということは、誰からも期待されていないのと紙一重でもあるということです。

自分を直視しよう。自分を変えていこう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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