常識の壁
せまい「常識」に、とらわれていませんか?
「常識」という言葉は便利です。
ですが往々にして、あなたの「常識」と他人の常識は異なります。
追い越し車線の無い田舎道を走っているときの事を思い浮かべて見ましょう。
あなたは気持ちよくとばしていたのに、たまたま40km/hで走っていた軽トラックに追いついてしまいました。
抜きたいけれど道幅はせまく、おまけに視界も悪い。
かといって軽トラックはマイペースで、抜かせてくれそうな気配も無い。
たいていの人は、舌打ちしながら追走するでしょう。
それ以外は信号も歩行者もいないような道なのですから60km/h、あわよくばそれ以上で飛ばしたいあなた。
かたや40km/hで安全運転する軽トラック。
違った速度ですが、それぞれが「この道はこの速度で走るのが常識だろう」と考えているのです。
もうすでに双方の「常識」が異なっています。
だから互いに、相手は常識知らずな人だなと感じるのです。
非常識レッテルが不幸を呼ぶ。
先の話では、たかだか一度だけ後続車になって遅いなと感じただけの話なのです。
それなのに後続車は、「この軽トラ、常識的でない運転をするなぁ」と感じているのです。
ここで考えなければいけないのは、考えの捉え方です。
たった1つの不満なのに、あたかもすべてが不満であるかのような捉え方をしてしまっているのです。
たとえば会社で、部下がたまたまミスをしてしまったとき、上司が「こいつは常識が無いな」と感じたとします。
ところが、それを自分の中で「こいつは『何につけても』常識が無いな」と勝手に膨らましてしまうケースが多い。
つまり、「万事非常識」だとレッテル付けてしまうのです。
上司が全否定しているのですから部下は相当大変です。
要らぬ重圧を感じ退職に追い込まれたり、ことによっては自殺しかねないことだってあります。
そんなバカなと感じる人もいるでしょうが、医師やシステム開発職のように特定の人間が持つ技術頼りでかろうじて回っているような属人的な業種の場合だと普通にありえるのです。
仕事量が多くなにかと抱え込まざるを得ない状況に陥りやすく、相談しようにも相手も忙しいだの成果主義で相手より出し抜きたいなどの思いを持つ人が多いためで、ますます孤立してしまうのです。
たくさんのお金と時間をかけ育ててきた人材を自らの常識感覚で潰しているのなら、企業にとって最大のマイナスはその上司にあるといっても過言ではないでしょう。
そしてこれは単に企業内だけの話ではなくて、家庭や学校内に置き換えても同じことが言えるのです。
そもそもあなたの「常識」は、世界中から見ての「常識」でしょうか?
旅行に行って他県で宿泊しただけでも、方言や文化、果てはテレビ番組まであなたの常識と異なることがわかります。
言ってみれば常識なんて、多種多様なのです。
あなたのまわりにも常識知らずな人はいるでしょう。
しかしその常識とは、単にあなたが理解できるかできないかだけで片付けてしまっていませんか?
そして、その人は「すべてにおいて」常識知らずだと勘違いしていませんか?
追記(2009.02.02記)
「常識的に考えて〜」なんて言葉がありますが、その常識に触れないで生きてきた人が聴いたところで「ではどうするのか」と反発を生むだけでしょう。
追記(2011.11.02記)
文体を変更しました。
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