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#605 / 2008.10.27

遅れてきた七福神

見えないところだからこそ、きっちり磨くのです。

近年、トイレ掃除の大切さにあらためて気づく流行がありました。
私も掃除はしていたのですが、そのときはトイレまで掃除できていませんでした。
しかしその時に知った話を境に、トイレ掃除もするようになりました。

人の住む家には7人の神様がお越しになるらしく、速く来た順から担当部屋を勝手に決めるのだといいます。
そして清潔なほど長く居座ってくださるといいます。

一人目はお金をかけた応接間、二人目は次にお金をかけた玄関。
そして居間、寝室、台所、洗面所とつづき、最後の神様はトイレしか残っていないからトイレの神様になるといいます。

しかしその神様が一番遅く来る理由は、その家を幸せにしようとお土産をどっさり背負ってくるから速く動けないためです。
結局、応接間や玄関をきれいにするよりトイレをきれいにし続けることで、たくさんのお土産をいただけるというお話です。

それとは逆に、見えるところはきれいにして見えなければそれなりに、という考えもあります。
確かに、一見合理的で楽な考え方です。
そうなると、今後は見えるところしか見なくなるのです。

これは怖いことです。
要するに見ないことで、トラブルを先送りする悪い癖をつけてしまっているとも言えるからです。

クルマで言えば、洗車や車内清掃はきっちりやるけれど、ボンネットの中やシャーシまわりはまったく気にしないといっているようなものです。
ボンネットを開けなければオイルやタイミングベルト交換の時期がつかめません。
また降雪後に下部を水洗いしなければ、融雪剤でついたサビに気がつきません。
それに気づかず走り続けることは、爆弾を抱えながら走ることと等しいです。

すべてを見て、見えないところをなおざりにしないことです。

なんでもそうですが見えないところをきれいにできているかが、トラブルを招くか遠ざけるかの分岐点です。
ここでいうトラブルとは、単にクルマをダメにしやすくするかというだけの話でなく、仕事や人間関係も含めた生きることすべてに通ずる話です。
トラブルの種を放置し続けることで、時には億単位の金額損失や殺傷ざたなんてことも、生きていればこの先あるかもしれません。
そうなってからでは手遅れです。

見えないところだからこそ、見える以上にきれいにしておくこと。
こんな些細なことが、極端な話、自分を助けるか自分を滅ぼすかの大きな差につながるものなのかもしれません。

見せないところほどメンテナンスしよう。

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