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#588 / 2008.06.29

ゼロヒャク.ptsd

何故でしょう?

自己嫌悪。
孤独、焦燥、逃避、成功体験の渇望……。

わけもなく自分を追い立てるキーワード達。

そして陥る極端な二者択一思考。
OKかNGの2つの価値観しか考えられなくなって、どこかに些細な欠点があるだけでNGに見えてしまうおそろしさ。

まさに0か100かの世界です。
途中に41や73なんてものはなくて、「結果、0か100のどっちかしかないんだよね」と知らず知らずに追い込んでしまう発想。

クルマで言えば、アクセル全開かまったく踏まないかのどちらか。
パニックになって、その後の判断にも自分で迷っている状態です。

アクセルを緩めたり踏んだりすればいいだろうと、無責任に他人は言います。
しかし、それが余計なお世話に感じて仕方がありません。

自分がとる行動によって新たな問題がおこるのではないのか気が気でないのと、それをやることで自分は報われるのかと疑心暗鬼を抜け出せない自分がいます。
そしてせっかくアドバイスに基づいて行動してみても、結果ダメだったときに「あぁ、ダメだったね。ゴメ〜ン!」などと気軽に抜かされたときの異常なまでの不快感を感じるのです。

徒労感と「あんた、ちょっとカッコいいこと言ってみたかっただけだろ?」という嫌悪感を一気に増やしただけにすぎません。
こんなことをいろんな人で繰り返され、そして他人がだんだん信じられなくなるのです。

一度や二度の仕打ちでこうなるものではありません。
おそらく周囲の環境で醸造されていく考えなんだと思います。

こういうとき「心の闇」とか「心を強くしよう」で思考停止できる人は、きっと幸せな人です。

きっといままで深刻に鬱々とさせられたことはなかっただろうし、そういう環境下に置かれたこともなかったのでしょう。
しかしその幸せのおかげで無理解だったとしたら、どれだけ無邪気に人を傷つけているのだろうかと問いたくもなります。

結局どうにもできなくなって、アクセル調節もできずにステアだけで走らせてしまう状況が延々と続くだけになるのです。

結局、自分の心は自分でケアするしかなくなるのかとさらに落胆させられる悪循環。
だったら、最初から何もしなければマシだと諦めてしまうものです。


でも心のどこかで、切に状況を抜け出したいもう一人の自分がいます。

自分の中ではっきりと言語化できているわけではないけれど、なんとなく危うい状況だということは感じているのです。
でもどうしていいかわからないし、無神経な助言者のおかげでさらに陥ることもあります。

きっと多分、みんなそうです。
そういう人達を、純粋に私はすごいと思います。

なぜなら自分の心の機微に敏感で、現状の危うさを感じてなんらかのアクションを起こそうと考えているから。
それを私にもできるかといえば、多分無理です。
一応やってみるけど、同じレベルまではこなせないかもしれません。

私も自分のことで結構手一杯ですが、話だけなら聞けそうです。
よかったらどうでしょう?
次のパーキングで一緒に休憩しませんか?

えっ、モタモタしていたら第一線で頑張っている人達に差をつけられる、ですか?
あんまり速く動いても、生き急ぐだけですよ。
いいではないですか。ほっといても。

現状をぶっちゃけてみよう。

追記(2008.06.29記)

土日無しで平均15〜16時間仕事してたら、そりゃやばいくらいに鬱の人の気持ちがわかるわぁ。
知ったかぶってどうこうとは言えないけど、とりあえず状況を話すと人間不思議と落ち着くものです。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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