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#587 / 2008.06.22

競争限界

競争には限界があります。

私達は人間ですから、特定の誰かをライバルと見立てライバルよりも優位でありたいと考えることがあります。

ライバルよりお金持ちになりたいとか、ライバルより仕事ができるようになりたいとか。
あるいはライバルより、よい恋人を持ちたいとか、よい子供に子供に育てたいとか。
1つ1つあげれば、キリがありません。

たしかに競争意識を持つから頑張れる、という面はあります。
しかし、競争意識が強いほど最終的に得られるものは少なくなります。

なぜなら、ライバル視すると「ライバルを超えたら勝ち」と無意識に刷り込んでしまう危険性があるからです。
こうなるとライバルに勝つことが至上命題になってしまって、その先にあるものが見えなくなります。

例えば年収1,000万円の人をライバル視すると、頑張っても年収1,001万円にしかなれません。
あるいはライバルの子供が偏差値50の学校に進学しようとすれば、自分の子供は偏差値51の学校に進学しておしまいです。

本当はもっと高い年収や学校を狙っていくことや、またはライバルと異なる優位点を見出すこともできるのです。
けれど年収や偏差値といった1つの価値観でしか見えなくなってしまうのです。

競争に限界があると書いたのは、そういう理由です。
みずからを狭い視野でしか見ることができないように追い込んでしまうのが競争意識の怖いところで、なかなかそこに気づきにくいのです。

クルマもそうでエンジン排気量やボディサイズ、あるいは最高速度を基準で勝ち負けを考え始めると、結局分不相応なクルマを選ばざるを得なくなります。
ライバルよりもステータスを感じることはあるでしょうが、冷静になったとき本当によかったのかと虚無感に襲われるでしょう。

優位にたてた瞬間にもう成長はできません。

こう書くと、「ライバルが上にいったら、こちらはさらに上を狙う」と反論されます。
しかし、ダメなのです。
人間は優位に立つために頑張れるのですが、一度目標に到達してしまうと無意識のうちに心が終了宣言をだしてしまうのです。

頭ではリベンジしなきゃと考えても、自分も知らない無意識下では「もういいだろう」と考えてしまう。
つまり自分の中で考えがちぐはぐになってしまうので、成長できなくなるのです。

レースや外敵からの防衛のように勝利を目的とした活動だったら、その瞬間に力を発揮すればいいのです。
しかし単に競争意識から優位に立とうとすれば、つまらないことで神経をすり減らし、結局は自分が報われません。

最終的にライバル程度にしか落ち着かないのなら、ライバルなんかいなくてもいいのです。

目標とする人物観を、あえて捨てよう。

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