#566 / 2008.02.11
情報メタボ
在京キー局が3つぐらい破綻しても、僕はまったく困りません。
しゃべるだけ、食べるだけ、笑われるだけ。
効果音でごまかして、あげく印象操作に余念がない。
たまに素敵なドキュメンタリー番組を放映しても、テレビに対する期待は萎えたまま。
その後忙しくなって3日ほどテレビをつけなかったら、困ることは何ひとつありませんでした。
むしろ中身の薄い時間につき合わされず、ノイズもなくなったことに気づいたのです。
そんな経緯から僕自身、テレビを積極的に見ることはなくなりました。
しかしながら中高年や主婦の多くは、やっぱりテレビを喜んで見ているらしいです。
その証明に今CMで流れているのはミニバンとか高級セダン、奥様向け小型車ばかり。
そしてほとんどの人が、他人と同じようなクルマを運転するというわけです。
付和雷同がコストの元凶です。
テレビに限らずネットや新聞もそうですが、受動的に情報を拾うばかりではコストばかり支払わされます。
このコストとは単にお金だけでなく、時間や心理的負担などあなたが負担するものすべてです。
あなたも経験がありませんか?
ダラダラとムダに視聴時間を費やしたり、必要な情報を探す時間を奪われ、あげくメディアの印象操作に踊らされて腹を立ててみたり。
1日のうちどれだけコストを浪費しているのか考えると、空恐ろしくなります。
私達がメディアのフォアグラにされる必要はありません。
出てくるのは薄い情報しかないのだから、無視してもかまわないのです。
そもそも、人間が集中して一時に覚えられる記憶は7±2項目と言われます。
少なくて5つ、多くてもせいぜい9つ。
つまり一時に10個も20個も注意を払うのは、至難のわざです。
しかしいくら20の情報があったとしても、そのすべてに今、注意を払う必要はありません。
バカ正直に全部対応しようとすれば、消化しきれないものが必ず出てきます。
食事だろうと情報だろうと、ある程度の拒否があっていいのです。
つまり、意図的に摂取量を減らすことです。
言い換えれば、自分にとって優先度の低いものをきっていくことを意味します。
メタボリックが騒がれて久しい今、摂取制限を食事以外にも適用してみるとどんどん身軽になることができます。
そのためには、何が必要で何が不要かを見極めることです。
これにはコツがあって、分かりにくいものに焦点を当てればまず間違いがありません。
つまり小さかったり分かりにくいモノにこそ、見逃せないメッセージが詰まっているのです。
路地裏から飛び出しそうな子供とか自動車保険の約款と同じで、見にくいものを見ようとすればいいのです。
クルマに限らないで言えば、携帯電話料金なんかも肝心な情報は小さい文字で書かれています。
対して、見て見てといわんばかりの情報は、実は見なくても問題ないものだったりします。
場所によっては「急カーブ」なんて看板があっても意外と緩やかだったりするのです。
要は、相手が見せたい情報とこちらが必要とする情報は、まず異なっていると考えてみることです。
視界にない情報に着目しよう。
せっかくタダで提供されているんだから、見なきゃっていうのは貧乏性。
いくらタダだからって視聴者をバカにするなよくらいの気概でかまえております。