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#543 / 2007.11.11

走り続ける10の方法(2) - 3つの理由

走り続ける10の方法(1) - 10箇条で「何事もなく生きる」と書きましたが、そのための私の考えは次の3つが基本にあります。

  • 健康であること
  • お金におびやかされていないこと
  • 周囲もふくめ健全な人しかいないこと

健康であること

不思議なもので、自分が健康なときはそれが当たり前なので感謝を忘れてしまうものです。

昨年、腸捻転の疑いで1週間だけ検査入院した時の話です。
ずっと点滴で、何も食べない日を4日間続けました。

仕事にはいけないし、コラムはかけません。
本当に何もできないままベッドの上で暇をもてあますというのは、実に辛いことです。

そのうえ栄養分は摂取できても、点滴だから空腹感は癒されないのです。
4日ぶりに口にできたのはお粥でしたが、何かを食べることができるとはこんなに感謝すべきことかと感じた記憶があります。
今、大食いタレントがテレビで活躍していますが、彼らはきっと相当な果報者です。

お金におびやかされていないこと

お金で何でも買えるわけじゃないけど、何かの権利を得るための有効な道具であることはたしかです。

お金で衣食住の対価になります。
病院のお世話になるときもそうです。
もちろん、お金をなにがしかのサービスや商品と交換することもできます。

しかし言い換えれば、お金がないとそれらは手に入らないこととも言えます。

そこでお金を持つためには、お金が入ってくる仕組みを作らなければいけません。
普通は勤労報酬ですが、不労所得で得る人もいるでしょう。それはそれでありです。
しかし、入った分だけ出てしまっては元も子もありません。
収入を増やすだけでなく、どれだけ支出を減らすかも考えて行動しなければ意味がありません。

健全な人

エッチでもいい。
ちょっと抜けててもいいです。
でも、お金にルーズだったり、すぐに力でねじ伏せたがる人は去っていただくしかありません。

たとえば親兄弟、もしくは親友でもいいです。
お金に超ルーズな人がいて、お金がなくなったらすぐに頭下げて借りちゃうような人はいませんか。

もしいたとして、彼が自分を家族でも友人でもなくただの便利な人としか見てくれなければ、縁を切るしかないでしょう。

一時的に非難され悲しい思いをしなければならないでしょう。
しかし、これからの10年20年で考えたとき、結果として「よかった」と思えるのなら、私はありだと考えます。

お金だけではありませんが、周囲に被害を巻き添えさせる人は要りません。
冷たいようですが、それらを突き放すくらいじゃないとダメです。

一時の可哀想という感情でその人間にお金を貸したり暴力を黙認すると、その人は一生直りません。
そうするとあなたは被害者でなく、未来の被害者に対しての加害幇助者になってしまうのです。

可哀想の言葉でその人をさらにダメ人間にしていくのと、刺し違えてでもその人を更生させること。
どちらが罪深いかといえば、あらたな被害者を生みだすという意味で圧倒的に前者です。

これらはどれかが欠けると、途端に何事もなく生きることから遠ざかってしまうのです。
そういう人がいた場合、私は聖人君子ではありませんから、強制的にでもお引取りいただく方法をとります。

つまり

入院したら運転できないし、お金がなければ維持できないのです。
また搾取や被害を受けていたのでは、安心して走らせることができません。

ここで1つの共通項です。
結局、運転をしていくという話は、突き詰めれば生きていくという話になるのです。

生きる3つの理由を考えよう。

追記(2007.11.11記)

不思議なことに「drive」って英語は、「運転する」という意味の他に「営む」って意味もあるんだね。

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