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#539 / 2007.10.22

未来が見えない

先のことを考えると、夢を見なくなるものなのかもしれません。

私は、しょっちゅう未来が見えなくなります。
それは悲観的なものではなく、単に現実主義なだけかもしれません。

未来が見えなくなるのはとりわけお店にいるときが多く、場合によってはショーなんかに行ったときもそうなります。

こう書くと、単に想像力不足かと疑われてしまいます。
しかし先に反論しておきますが、想像力は人並み、あるいはそれ以上にあると思います。
むしろ、いろいろ考えがふくらんで怖くなることもしばしばあります。

さて、前述の未来が見えない話ですが、これはお店でピカピカの商品を見たときの私の一般的な反応です。

目で見て触れてみるのですが、はたと考えたあと「やっぱりいらない」と棚に戻すのです。
私が考え込んでしまうとき、実はこんなことを考えています。

「それが自分に、どんな未来をもたらすんだろう」

魅力的な商品は、世の中にたくさんあります。

それを見て、「おっ」と気づいて近づいてみる。
このとき、少しドキドキした気持ちで包まれています。
そして実際、手にしてみる。
「これ、いいかも」と言いながらも、もう一人の自分がささやくのです。

「本当に欲しいのかよ、それ」

で、「そうだよな」と納得してしまう自分。
すると、棚に戻してしまいます。

せっかく手にしても、買った後のことに思いをめぐらせる癖があるので、結局買わないケースが大半です。

単にお金を倹約したいとかそういう意識よりも、無駄に物を増やしても幸せになれないという意識なのです。
せっかく自分の手元に来るモノならば、大事に使ってあげたい。
でも、私は一度に多くのモノの面倒をみきれません。

私はモノを持つと、掃除はしたがるし壊れたら修理したくなる性分なのです。
しかしモノが多すぎれば、やはり限界はあります。
1個なら手入れできても、10個も100個もあったらさすがに無理です。

無理になる前に、モノの数を減らす。
モノを最小限持つのなら、よりいいモノを長く使う。

少数のメンテナンスはできても、多数のメンテナンスはできません。
それもあってか、無意識のうちにモノの数を絞っているのです。
結果、あまり物欲が湧かないのかもしれません。

数で満足するの、やめませんか?

クルマもそうだと思うのです。
カーショップに行けばアクセサリーやらパーツやら、だいたいのモノは売られています。

目的があるから買う、という理屈はわかるのです。
速いクルマやオシャレなクルマにしたいから買うのであって、当人は無駄金を遣っている意識はありません。

しかし、上を見ればキリがありません。

他人の愛車を見て羨んでいれば、負けじと自分も欲しくなるのが人情というものです。
そしていろいろなパーツに手を出してしまうのです。
このあたりから、本来の買う目的から大きくずれ始めるのです。

無駄なモノがない大富豪の豪邸と、まったく逆になってはいけません。
相手より不足している部分をモノで満たそうとすれば、余計貧乏になるのです。

それは、単純に浪費が増えるからだけではありません。
まず知っておいてほしいのは、1つひとつのモノには神様が宿っているということです。
そして神々には、それぞれプライドがあります。
だからモノがたくさんありすぎると、神様どうしでケンカを始めてしまうのです。

神様が増えればケンカはさらにおさまらず、結局ケンカした神々はあなたの元から去ってしまいます。
そして残るのが貧乏神、というわけです。

モノをたくさん持っていても心が貧しいのは、あなたの環境から良い神様がいなくなってしまったからです。

まず、自分に自信を持つことです。
経験上モノに依存する人とは、自信のなさをコンプレックスにしている人が非常に多いのです。
ステータスも何もない若いお兄さんお姉さんが中古のセルシオやアリストに乗りたがるのは、それ以外に何もないからです。
しかし現実問題、他の高級車オーナーとてモノ依存症で落ちぶれかけている人がいっぱいいるのです。

何もないことを自身が一番知っているときこそ、安易なモノ依存に走らないことです。

モノ依存症患者に、神様は舞い降りてきません。
神様が来なければ、あなたの幸せに到達する時間がより一層かかってしまうのです。
結果、数の多さがあなたを苦しめるのですから、本末転倒としかいえません。

神様だって他の神様とケンカさせられるような環境に、わざわざ舞い降りて来ないものです。

モノを減らして神様を呼ぼう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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