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#533 / 2007.09.09

リーズンライド

極論を言えば、運転に感情はまったく必要ありません。

A地点からB地点まで、安全にかつ速く移動する。
たったこれだけのことです。

大渋滞に嵌まっても、迷子になっても、感情的になる必要はまったくありません。
たとえ超セクシーな女性が露出度の高い衣装姿でこちらに投げキッスをしていたとしても、眉1つ動かさず、淡々と走りつづければいいだけです。

感情がおもてに現れる人は、運転には向いていません。

嵌まるとか煽られるとか被害者意識ばかりが大きすぎる人は、不満を言うことでしか自分の存在意義を感じられません。
迷ったどうしようとオタオタする人は、コンビニで売られている地図で調べたり、人に聞いたりしようとしません。

自分に都合の悪いことを、自分で受け止める器のない人のことです。
経験上、感情を優先させる人ほどこの傾向があり、こと運転においては弱点です。

こう書くと「理性も大事だが感情はもっと大事だ」と息巻く人もいますが、そういって脊髄反射で反撃したいだけで、それがかえって器を小さく見せてしまっているのです。
これは、とてももったいないことです。

まず、渋滞に嵌まったところで気長に待つしかありません。
仮に裏道があったとしても、そこにみんな駆け込めばやはり混むのです。

迷子もそうです。
「迷った!どうしよう!!」と騒いだだけでは何も解決しません。
いくら私たち人間が140億もの脳細胞を持っていたとしても、迷う時は迷うのです。
そうでなければ、カーナビがここまで普及した理由がつきません。

最初から回避できていることが最善ですが、そうでなければ感情を出してはいけません。
というのも、こういうときの感情は非常に不快な私情だからです。

怒り、嘆き、落ち込み。
そこには解決策もなく、同乗者が聞いていれば「私にどうしろ?」というものでしかありません。
くだらないワイドショーと同じで、自分では解決する気のないことを感情的にぶつけているだけです。

こうして私情ばかりが先立ち、建設的な解決策を見出すのに無駄な時間ばかりかかってしまうのです。
とくにクルマは、場合によっては生死にかかわる局面もありうるのです。
目の前で人が生死をさまよっているときに我が身可愛さで逃げ出してしまうとか、オロオロして時間を浪費してしまうとか、そういった自分の世界しか見ていない私情なんか、まったく必要ないのです。

考えてください。
あなたの私欲と、他人の幸せ。
私欲は一時的にはあなたを潤しますが、いずれ他人の私欲によってあなたはいとも簡単に見捨てられるでしょう。

私は、そんな私情はびこる未来に、断固反対です。
とくに運転は、ドライバーの心情がもろに表れる行動です。
私情だらけの社会にしないためにも、まずは日ごろの運転から意識付けていく。
それがささやかながら、愛情につながるのではないでしょうか。

私情ではなく愛情を持とう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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