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#521 / 2007.07.08

自分探し

「甘えるな」
「逃げ口上」

世の中には「自分探し」に対して、ときに辛辣な言葉を浴びせたりするものです。
でも私は、自分探しをすること自体、正常な人間心理を持っていると考えます。

そもそも自分探しは、逃げ口上からではなく今の時代背景から生まれた価値観です。

就職氷河期などと呼ばれた90年代後半から、「あなたは何ができますか?」と問われ続ける時代になってしまいました。
社会人に初めてなった人達は経験などないですから、ほとんどは「何もできない」ことを思い知らされた上でスタートするのです。
ここに、適性なんて考えなくてもがむしゃらにやればよかった世代とのギャップがあります。

がむしゃらにやればとりあえず報われる、という考えは確かにあります。
しかし自分の将来を考えることを放棄し、なんの根拠もない「とりあえず報われる」を是としている人達がこれからの若い人達と対峙した時、果たしてどこまで教え導くことができるのでしょう。

これからこうなっていくんだと諭せず「とにかく動け!」とわめくのが、せいぜい関の山ではありませんか。
それか自分の過去体験のみを話して、若輩者に同じことを押し付けようとする。
他人の価値観は自分のそれとは違うということをまったく理解できていない。
こうした人間のほうが、正常な人間心理を持っていません。

いつの時代であっても、必死に生き抜こうとする。
そういう意味で「自分探し」は至極当然であり、自分探しをしないできた人は考える力を養う機会が少なかった分、なまじ不幸ではないかと思います。

例えるなら、濃霧の山岳有料道路のようなものなのかもしれません。

90年代前半まではフォグランプがなくても前照灯さえあればよかったのです。
コースは1本、それもガードレール完備で、ほぼすべてのクルマが集団で同じ一方向に進んでいました。
誰かが立ち止まっても、追い抜くとかなく縦隊で走れたのです。

それが一変。
派遣バイパスと称した獣道ができ、若年層お断りの通行制限がかかり、それに伴い有料道路は通行料収入が激減しました。
すると道路整備がおぼつかず、ガードレールも腐っていきました。
ドライバー達のモラルは低下し、逆送したり追い抜いたり、あるいは崖下に転落したクルマを見ては自分で無くてよかったことに胸をなでおろすようになってしまいました。

先が見えない。
間違えれば、自分が崖下に転落してしまうかもしれない。
そんな状態で地図もフォグも持たせず「前のクルマに続け」としか言えない年長者がいたら、その思考を疑ってしまいます。

かといって、若年層が何もしないというのもお勧めしません。
実際の濃霧では霧が晴れるまで待つという方法もありますが、せめて今どこにいてどちら方向に進まなければダメで、そのためにフォグを調達しなきゃいけないかどうかまで調べないと、若輩者自身が苦しくなるでしょう。
そこまでが「自分探し」なのだと思います。

でも、それだけでは進まないのです。

「自分探し」は、進むためにあえて時間をかけてまでとる「手段」です。
「自分探し」を「目的」にしてしまうと、その濃霧はきっと一生晴れません。

ゴールはもっと遠いところにあるでしょう。
遠くても目的地とたどり着くまでの手段が見えれば、あとは着実に進んでいくだけです。

未来への道程を着実に歩もう。

追記(2007.07.08記)

手段探しの「自分探し」なら賛成。
でも「自分探し」にハマってきたら、きっと間違ったほうに行きかけていると思う。
とりあえず「自分探し」したいなら、期限をきっていろいろ探してみるのがいいんじゃないかなと思います。

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