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#488 / 2006.11.19

当て逃げ社会

一方的にあてつけることというのは、どうなのでしょう?

当てつけておきながら責任はいっさい取らない。
そんな当て逃げが、いろんなところで起きています。

当て逃げといっても、自動車事故のそれだけではありません。
八つ当たりもそうだし、責任をなすりつけて逃げることも一種の当て逃げです。

先日、自殺予告をわざわざ送りつけるなんていう事件がありました。
少なくとも、送り手はよほど切羽詰ってるんだろうと想像できます。

また最近多発する自殺問題でよく聞かれた言葉があります。
「死ぬ前に相談してくれれば良かったのに」

私は、これらは一種の当て逃げだと思っています。

かたや、自殺予告とは名ばかりの一方的な当て逃げ要求です。
「あいつが嫌い。だから何とかしてくれ」と。
また一方は、当て逃げ的に「たられば」を言っているだけです。
自分は第三者だと主張し、当事者と一線を画そうとしているのです。
事後でこう思ったなんてのは、反則もいいところです。

そしてこうした当て逃げがあるたび、ステレオタイプの論調でお茶を濁されるのです。

なんとかして救い出さねば。
問題を解決してあげねば。
世の多くのモラリストはこう主張し、多くの人はこの論調に賛同します。

でも、それは違います。
救いの手を差し伸べることではなくて、強い人間に育ててあげることです。

一時的な救いは、根本解決にはなりません。
救い手には自己満足しか、また救われる側には依存心しかもたらしません。
つまり、一生いじめられることから立ち上がれないヘタレを1人つくってしまうのです。

そもそも「アレが悪い。だから何とかしてくれ」なんてのは、依存もいいところです。
自分で切り拓こうとしない限り、誰も助けてくれません。
それを可愛そうだからと一時的に手を差し伸べたら、さらに依存させてしまうのです。
支援してもいいから、依存ではなく自立の道を歩ませることです。

また、「死ぬ前に相談してくれれば良かったのに」と言う言葉も偽善です。

相談してアドバイスをもらったとしても、結局決めるのは本人なのです。
もしあなたが「死ぬ前に相談してくれれば良かったのに」という側だとして、 あなたに相談して本当に解決してくれるのですか?

いくら友人でも、死ぬまできっちり保護してくれるような人はそうそういないし、 他人の悩みなんて下手すれば、翌日には忘れてしまうものです。
その程度の本気度しかないのに、相談なんて軽々しく口にしたら非常に失礼です。

真剣に悩んでいる人は、ワイドショー視聴者とは違うのです。
ワイドショーみたいにCM1つできれいさっぱり忘れてしまえる訳にはいかないのです。

「心の闇」だの、 「相談してくれれば良かったのに」だの、 「教育関係者がんばれ」だの。

美辞麗句ばかりで正直うんざりです。

こんな美辞麗句で隠して、したり顔でいかにも考えていますよというのがいやらしい。
所詮、誰もが「他人事だから」としか思っていないのです。

ワイドショー的美辞麗句ごっこは、もう止めにしませんか?
もしあなたが本当にしてあげられるとすれば、口だけではなく実際に行動で救ってあげることだけです。

強い人間に育ててあげよう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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