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#485 / 2006.10.27

お山の大将

旧道の峠道。

右へ左へと揺られ、まったり駆けあがるおだやかな休日の午後。

色づきはじめた木々にさえぎられた視界が、眼下に一気に広がります。

てっぺんの駐車場にクルマを停めて、おりてみます。

遠くには、幾重にも連なる山々。

裾野には、田畑と街がこじんまりと広がり、さながら箱庭のようです。

暖かい陽光に、稲穂の実り知らせる心地よい風。

それらに包まれると、ここまで来たのだという充足感で胸がいっぱいになります。

360度の大パノラマを堪能し、クルマへと。

この先はどこに続くのかと何気なく地図を眺めた時、途端に悲しくなりました。

 

地図は、大パノラマよりも雄弁でした。

 

対向車とギリギリすれ違い、ときにはぼうぼうに生えた草むらにボディを擦りながら。

おいそれとは、ここにはたどり着けません。

だからこそ、この雄大な景色を見ることができたのです。

にもかかわらず、たった見開き2ページの地図はもっと遠くまで描きこまれていました。

裾野の盆地の向こうの果て、眼前の山々に隠れた陰の部分。

この山から流れているはずの川は、ここからでは輪郭すらなぞれません。

「大パノラマ」は結局、10km四方にある大気と地表面を見せただけでした。

 

てっぺんと言っても、そんなものです。

だって、そうでしょう?

富士山頂から日本全国が見えますか?

エベレスト山頂から世界各国が見えますか?

 

山登りを否定するわけではありません。

けれど、てっぺんを目指すことが素晴らしいとは思えないのです。

 

世間は懸命に山登りさせようとします。

でも、その目的は実は誰も知らなかったりします。

本当はみんな、なんとなくの雰囲気で、山に登っているのです。

ハーメルンの笛吹き男がいるのかもしれません。

 

何%かの人たちは、うまく山を登りきるでしょう。

そしてたかが見開き2ページ分もない景色を見て、彼らは満足するのです。

すべてを見られたわけでもないのに「見れた!やった!!」と喜んでいたりするのです。

所詮「お山の大将」でしかないのです。

 

たかだか東洋の小国にあるそれも小さな山なのに、大将目指して登るのですか?

 

今は、山を見あげる時代ではありません。

山のてっぺんから、見下ろす時代でもありません。

地図を見るように、宇宙から俯瞰する時代なのです。

てっぺんばかり見て、近くを走るバイパスに気づかないのは、すごくもったいないことです。

 

頂点にとらわれないようにしよう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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