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#476 / 2006.09.02

反省のキキメ

反省は後悔のためじゃなく、リトライのためにあります。

私自身、恥ずかしくて人に言えないくらいかなり失敗をしています。
仕事でポカをやらかすことはしょっちゅうだし、 文章力ある人の文章を読んでは、自分との差にかなりへこんでばかりです。

他人の失敗を見てうまく立ち回れる人は、正直いうと、とても羨ましいです。
翻れば私などは、体に刻まないとなかなか覚えられません。
できる人との素質の違いを感じながら、さらにへこんでしまいます。

しかも、へこんでいる時ほど二重三重とへこまされるものです。
なぜだかわかりませんが、ダメージは単発でなく連発でくるのがお好きなのです。
そうなるとメロメロなんて可愛い表現じゃなく、かなりズタボロ状態に陥ります。

そんなズタボロ状態で運転すると、ノッキングやカックンブレーキの連発です。
平静を装うつもりが、わかりやすいくらいに動揺しているのです。
面白いくらいに、一つひとつの操作がまったく決まりません。

まさに、連続で赤信号にブチ当たるようなものです。
無理して黄信号で突っ込んでしまえたものを、憑かれたように止まってしまう。
その1つのストップが、10のストップを呼び込んでしまうのです。

でも、ズタボロな自分を嘆いても仕方がありません。

こういうときにやることは、ただ1つ。
立ち止まって、今いる環境から一度離れてみることです。
離れてみて、全体を見渡しかえしてみるのです。

クルマと同じです。
後ろが見えていないのに、しっかりバックできますか?
ステアにしがみついてボディ先端だけを見ていて、きちんと走行できますか?

できなくはないけど、つけなくてもいいキズをクルマにつけることでしょう。
それでさらにへこんでしまっては、本末転倒です。

運転席に座ったままでクルマの外観が見えないように、渦中にいるほど何も見えません。
そして見えないときは、決まってろくなことがありません。
だから何はさておき、違う視点から見てみるのです。
そのためのきっかけとして、反省があるのです。

しかしながら反省のしかたを間違えると、人を傷つけるだけの結果を招きます。

反省を後悔と勘違いしている被虐者。
反省に意義があるとばかりに、やたらと反省を促す加虐者。

彼らの反省は次へつなげる反省ではなくて、落胆と嫌味を生み出す不毛な反省です。
そもそもこの手の人達は、褒めるという事がありません。
反省をいじめるだけの用途に使っているから、タチが悪いのです。

そうして、人は簡単に離れていきます。
つまり反省を間違って使ってしまうと、人が逃げていくのです。

「ともだち100にんできるかな」ではありません。
不毛な知り合いなんか、いないほうが全然マシなのは明らかです。

それともう1つ、反省には限界があります。
深く反省したところで、人間そんなに変わるものではありません。

だったら、反省にばかり時間を割いても意味がありません。

反省とは後悔のためじゃなく、リトライのために使うのです。
けして反省だけに終始するものではありません。

反省は、あくまでも次のアクションのために使うのです。
そのとき、今以上のリトライができるのです。

反省する人は、つまり、諦めない人なのです。


反省しまくってへこんでいるあなたへ。

なぜ、反省にいたったのでしょうか?

それは本気で取り組んでいたからでしょう?

中途半端な人は、反省すらできないのです。

失敗は成功の母、ともいいます。

本気で挑んだからわかったもの。
それを、次に活かせればいいのです。

反省をリトライに活かそう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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