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#460 / 2006.05.21

グロウス・リミッタ

ここちよい言葉ほど、思考停止をうながす恐ろしい言葉はありません。

最近、ビジネス書なんかでよく書かれる「高める」なんて言葉。
もしくは昔からある言葉で言ってみれば、「切磋琢磨」や「精進」なんて言葉がそうです。

ちょっと聞くと、より良い自分へ成長しようという強い意志が感じられるいい言葉に思えます。
しかし、聞けば聞くほど反吐が出ます。
こんな言葉に、思考停止させる力があるのです。

「高める」ことは目指す未来にむかうための手段であって、目的なんかではありません。

今のレベルじゃ足りないからできるように自分を高めていきましょう、というのは分かります。
でも単に、自分を高めていきましょう、というのは分かりません。
高めること自体が目的化して本来の目的を見失っているのではと、私は勘ぐってしまいます。

はっきり言えば、高めていることに自己満足で思考停止してはいけない、ということです。

ボディビルダーではないのです。
自分を魅せることより、自分の能力をどう活かすかに執心したほうがいいのではないですか?

それと、もう1つ。
ものには限度があります。
どんなにがんばっても、限界はあるのです。

多少の背伸びなら、まだ分かります。
例えば、軽自動車で150km/hを出そうとすれば、足回りの強化やエンジン高出力化で実現可能でしょう。
しかし、軽自動車で300km/hを出そうとすると、実現はまず不可能でしょう。
なぜなら、排気量をあげるか全長全幅を大きくせざるを得なくなり、軽規格からはずれてしまうからです。

限界を知らないと、「無限の可能性がある」「自分に解決できる試練しかない」なんて放言してしまうのです。
結局、綺麗事の精神論にもっていってしまうのです。
そして、壊れるまで酷使し続けてしまうでしょう。

それは、「自己責任」なんて言葉と同じです。
具体的なビジョンも持たないで、突き放しているだけです。
要は「おまえ頑張れよ」と突き放しているだけなのです。

確かにそこで、腐らせないでさせてみる姿勢は大切なのです。
ですが、あまりにも非現実的な問題は精神論で解決できません。
本当にできないことは諦めるか代替手段を提示すべきなのに、精神論でゴリ押ししてしまう。
だから人は育たないし、精神論が間違いであることに一生気づかないのです。

多少の背伸びなのか、荒唐無稽なのか。
陣頭指揮にたったときそれすら見抜けないから、あっという間にグダグダになってしまうのです。
下手すれば、後々になってお前らがちゃんとしないからだなどと責任転嫁したりします。

最悪です。

気づかなければ、同じ過ちを永遠に繰り返すでしょう。
まさに、無知は罪なり、です。

こんなことを書くと、揚げ足とり風情で「では、高めなくてもいいのか?」などとたてつく人が出てきます。
よく読んでください。
「高めるな」なんて一言も書いていません。

高めることは大事です。
しかしそれが何の目的のためなのか。
そして無邪気に、綺麗事の精神論でご満足しているのではありませんか、ということを問いてるだけです。
深い目的もなしに「高める」「高める」と言うだけなら、子供でもできるのです。

スピードよりもヴェロシティです。

エネルギーに置き換えて考えてみてください。

ただエネルギーさえあればいいと思っている人が、大半です。
エネルギーを取得して終わりだと勘違いしている人も、大半です。

そういった人たちは、エネルギーの使い道を知らない人です。
そして、使い道を知らないまま、新しいエネルギーを求めようとするのです。

目的なきエネルギーは、結局、使わないままに腐らせてしまうものです。

それでも、目的なきエネルギーを探し続けるのか。
あるいは、明確な使用目的のあるエネルギーをつくり出すのか。

どちらをとるべきかは、もう言わなくてもわかるでしょう?

成長の目的と限界を知ろう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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