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#455 / 2006.04.17

チョーできる人

チョーできる人病にかかっていませんか?

自分はすごい。
自分はできる、と思うと、見えなくなることがたくさんあります。

人はえてして、自分の成功体験をおしつけたがります。

例えば免許取立ての初心者君が、「慣れてないから運転を教えてください」と言ってきたとします。
あなたは運転にそこそこ自信があって、今まさに彼に運転を教える立場に立っている状態です。

そこそこ自信があるというのは、「チョーできる状態」だと自分では思っています。
なまじ知っているからこそ、思い上がった全能感にあふれています。

このとき、運転がうまい人ほどうまく教えられるかといったら、そうではないことがほとんどです。

なぜなら、過去に自分はできたから「ああしてこうしてこうやってできた、だからこの人もできるだろう」と思うのです。
そして同じ手段で教えようとしてしまう。
ところが、教えられる人はあなたとは違うのです。
あなたが得意だったかもしれない坂道発進や縦列駐車が、相手も得意かといえば大抵はノーなのです。

けっして相手がダメなわけではないのです。
あなたに得手不得手があるように、相手にもまったく異なる得手不得手があるのです。
そこの違いに気づかないで、「私はできる、あいつはできない」と短絡思考に陥っていることがまずいのです。

これがエスカレートすると、「ただのできない人」から「チョーできない人」だと思ってしまうのです。
たかだか一部分ができないだけで、すべてを否定するかのような浅ましくおめでたい脳内発想をしてしまう。
これは怖いことです。

すべての人があなたと同じ手法でできると思うのは、大間違いもいいところです。
しかし問題は、大間違いだけにとどまりません。

本当の問題は、せっかくの芽を潰してしまっていることにあります。
育てられるほうは、適性も考慮されずに勝手な成功体験だけで教え込まれるわけです。
芽は出ないけれど熱意がある教わり手ならば、なおさら理想と現実のギャップに苦悩させてしまうことになりませんか?

考えてもみてください。
普通のドライバーがいきなりフォーミュラカーをF1レーサー並に操れますか?
それにドライバーといえど、セミプロ級の運転技術を持つ人からサンデードライバーまで幅広いのです。

そういった適性も考えず、いきなりあなたと同じレベルまで育てようとするのはおかしいのです。
こう考えてみればステレオタイプな対応は良い結果を生み出さないはずなのに、成功体験が盲目にさせるのです。

人を育てるには時間と情熱が要ります。
一朝一夕で人が育つわけはなく、歯がゆい思いで、 ときには腹の中で怒りを煮えたぎらせながらも表面には出さず、見返りがあるかもわからない状況で続けるものです。
育てる側が簡単にブチぎれたからといって事態が好転することは、まずありません。

会社や教育の現場でも同じだと思うのです。
「こうすればいけるはずなのになぜうまくいかない?」という錯覚が、 教える側をさらに固執化させ、教わる側には強い重圧と焦燥とを与えてしまうのです。

こうした組織は、いずれ二極化します。
たった一つのできるできないなだけで、バカな思い上がりを持った連中と激しく自信を喪失した連中が生み出されます。
悲しいかな、これがそのまんま、今の日本の姿なのです。

「チョーできない人」がつぶすのではありません。
「チョーできる人」がつぶしているのです。

そもそも、全能な人間なんてどこにいますか?

イチローが医師だったら、ここまで大成していましたか?
松井秀喜が政治家だったら、ここまで大成していましたか?

彼らは野球選手だからこそ大成したのです。
もし彼らがケガをしたら自分ひとりで治療するなんてわけはなく、おそらく医師の診察を受けるはずです。
ということはイチローや松井秀喜にとって、医療という自分の全能じゃない分野があるということになります。

イチローや松井秀喜ですら、全能ではない普通の人間です。
凡人である私達が、どうして全能感を持てるのですか?

自信を持つことは結構ですが、自信に呑みこまれるようでは、まだまだ三下だということです。

自信は心の中にだけとどめておこう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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