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#451 / 2006.03.19

人はなぜ勉強するのか

人はなぜ勉強するのでしょうか。

学生時代に、こう考えたことはありませんか?
子供にそう聞かれて、窮したことはありませんか?

私は、今でも本当の答えが分かりません。

いい職業に就くためだと、ある人は言います。
たくさん稼ぐためだと、別の人は言います。

すると、たいていは「いい職業なんか就かなくてもいい」だの「あんまり稼がなくてもいい」だの反論されます。
就業や稼ぎを目的にすると、この手の反論にたいていは窮して「いいからやるんだ」と感情的に反撃してしまうのです。
そもそも感情的に反撃してしまうあたり、諭そうとする側も本当の答えなんて知らないのです。

きっと本当の答えはありません。
もしあるのなら、誰かが明言しているでしょう。
しかし私は、それを聴いたことがありません。

だから私なりにあえて答えるならば、「新しい自分を見つけるため」だと思うのです。

高校や大学に進学するのも、社会人になってから社会人入試を受けたりするのも、きっとこれだと思うのです。
新しい人たちにたくさん触れ、考えを吸収し自分の中で咀嚼するためです。

いい自分がいることも分かれば、悪い自分に気付くこともあるでしょう。
それでいいと思うのです。
悪い自分がいるからダメなのではなく、いい自分でどれだけカバーできるかを考える機会になるわけです。

その機会を持つか捨てるかは、その人次第です。
そう考えるから、別に勉強したくない人にまで強制する必要は無いと思うのです。

これはクルマについても同じだと思うのです。

まず運転免許をとる。
この時点で、運転できなかった自分が運転できる自分に変わります。
今まで何気なく見ていた街の景色を、運転する人間としての立場から見るのです。
昨日まで二輪で走っていたけれど、いざ運転してみると車道に飛び出す二輪のなんと恐ろしいことか。
そこかしこに止まる路駐車両が、これほどまでにウザいものだったのか、と。

そうして運転にも慣れてきます。
すると遠くに行ってみたくなるのです。
まったく知らない土地では、地元の市街地ルールじゃダメなんだと気付かされます。
また同じ道路でも時間帯や併走車両によってルールが微妙に変わってくることもあるのです。
渋滞の最後尾でハザード出しても通用するのはプロドライバーの多い夜くらいなものです。

おかげで今では、どこを走っても淡々と走れるようになりました。
雨の高速、雪の田舎道。
確実にトラブルを起こさないというわけではありませんが、ある程度のトラブル対応はできます。
どこにでも行けるようになったので、免許を取った当時に比べれば出会い力がついたなと思うのです。

これも1つの勉強です。
私はクルマで勉強したことで、出会い力をつけたのです。
きっとこれが「新しい自分を見つける」ことなのかなと思います。

運転の教科書には「新しい自分を見つける」という項目はありません。
むしろ、走り方や止まり方といったテクニックばかりが載っています。
でもテクニックだけじゃ、その先にある「新しい自分」にはたどり着きません。

たまたまクルマの話題ですが、何においてもそうだと思うのです。
化粧、整理術、育児、転職。
適当なキーワードを並べてみましたが、どれも新しい自分を見つけることのできるものばかりです。

もはや従来の価値観ではダメです。
終身雇用なんてとっくに崩れたこの国で、ずっと地位が約束されている保証もなしに職業や稼ぎがどうのなんておかしいでしょう。
それと同じで、昔からある「常識」は時間の流れとともに「非常識」に変わっていることもあるのです。
正しい答えは、不変ではありません。

どうせ正しい答えなんてないのなら、オリジナルの最適解を探しに行けばいい。
そのためにもっと勉強するのです。

泣いていても助けは来ません。
だから自分から動いていくのです。
それが勉強するということです。

勉強で新しい自分を見つけよう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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