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#446 / 2006.02.11

メハクチホドニ

クルマのヘッドライトを目に例えるのなら、ちょっとした人相学になるのではないかと思うのです。

大きな目ならば、大きく包み込んでくれるようなあたたかい家族のイメージ。
鋭い目つきならば、鷹のように速く力強く飛び回るような猛禽類のイメージ。

勝手ながら、目つき1つでこういうキャラクターじゃないかと勘繰り勘繰られることは確かにあります。

中身うんぬんより見た目のイメージは、そのものの実力以上によく見せることができたりします。
その証拠に、大枚はたいて買うような新車でさえ最後はデザインで決めてしまう人がいるものです。
そこにはエンジンがどうだとか安全性がこうだといった理屈は抜きで、直感が決め手になったりします。

それがいいとか悪いとか、そんな話はしません。
もっと別の話です。

自分のキャラクターを簡潔かつ明瞭に伝えるものとはなんだろうかと考えてみた時に、それは目じゃないかと思うのです。

目は口ほどにものを言う、といいます。
無意識のうちに瞳孔が開いたり、等ということも含めると目は自分の内面を表しやすいのです。
だからあなたの本心や想いは、よほどのポーカーフェイスでなければ目に表れます。
これは目の持つ不思議な力です。

また、目に表れるということは、たいていの場合、見られているということでもあります。
見られていると思うと、結構気になります。
これも目のもつ不思議な力です。

まったく興味のなかったものでも、見られていると思うと不思議と意識するものです。
ただのNシステムが設置されているだけなのに、なんとなく速度取締りされているような錯覚に似ています。
「スピード落とせ」の立て看板ではなんとも思わないけれども、オービスでは無理にでも減速するのにも似ています。

それと同じで、そこに目があると思うと、そこに意識がいってしまうのです。
それだけ目は、人の意識を大きく動かす力があるのです。
だからこそ、目つき1つでイメージなんてあっという間に変わってしまうのです。

きつい目つきより、穏やかな目つきのほうが器が大きく見えます。
きっとテンパってるときは、目つきにも余裕がなくなっています。
言い換えれば、余裕のある人は、テンパってても目つきは変化しません。
だから強い。

まずは、ここ一番でも目つきがキツくならないよう目指したいものです。

目に力を込めよう。

追記(2006.02.11記)

それでも他人は、あなたの内面なんかほとんどわからないはずです。
そもそもあなたが何を考え、どんな人でどんな好き嫌いがあるかということには、まず興味をもたれないでしょう。
友人でも恋仲でもないような間柄なら、あなたの内面を知ろうとも知りたいとも思わないから。
クルマに興味のない人がボンネットを開けたりしないように、見なくて済むなら見たくないもの。
それでも見られているという意識は持ち続けたいものです。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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