トップ > コラム > コラム No.444
 
トップ > コラム > コラム No.444

#444 / 2006.01.28

セレスティア

道路総延長1,237,295.9km(平成14年4月1日現在)。

調べてみて、へぇって思いました。
高速、一般国道、都道府県道、そして市町村道をあわせると、日本には124万km近い道路が走っているのですね。

そのうち、この日本に、きれいな道路はどれだけあるのでしょう?

ん〜……、むずかしい。

では反対に、きれいでない道路ってなんでしょう。
石や砂ぼこりのない道路?
もしくは老朽化した道路?

人によって解釈はいろいろあるでしょうが、私はゴミとモラルハザードで汚れた道路のことではないかなと思うのです。

今のこの国では、走ればいろいろなものが落ちています。

タバコ、空き缶、ビニール、噛み終えたガム。
ゴミばかり。
モラルのかけらもない。
終いには、本当に脳みそまでもが捨てられているんじゃないだろうか、などと邪推してしまいます。

よく「規則で取り締まれ」なんていう人がいますが、そんなのは意味ありません。
千代田区、横浜、宇都宮、奈良、札幌。
これらの自治体では、確かに条例として施行されています。
でもそういうのは、裏を返せばポイ捨てが慣習化してしまっている証拠ともいえます。
子供じゃないのですから、言えばなんとかなると信じているのは甘いのではないですか?

「みんな」は「他人」ではありません。

公道の「公」の字は、平たく言えば「みんなの」という意味。
「公」の反対語はといえば、自分を意味する「私」。
でも「自分(=私)」の反対が「他人」だからといって、「公=他人」なんてことはありません。

ポイ捨てする人はそこを勘違いしているのではないでしょうか?
「公道」→「他人の道」→「自分の道じゃない」→「ポイ捨ても平気」。
これが脳内でショートカットされて、「公道」→「ポイ捨ても平気」。

「公」は自分も含めて、はじめて「公」になるものでしょう。
せめてゴミぐらいは、ちゃんとしたところに捨てて来てほしいものです。

人は、環境がはぐくむものです。

かつてオオカミ少女なんてデマ話も流布していましたが、人間は環境に左右される生き物です。
良くも悪くも、その環境にいることで、自分に強い自己暗示をかけています。
もし自分の環境が汚かったりゴミゴミしていたりすると、それが標準のように思えてくるものです。

あなたはどうでしょう?
渋滞待ちで、ほとんどのドライバーが灰皿の中身を道路に捨てていたら、マネしないでしょうか?
路駐多発地帯にいけば、路駐しても何も言われなさそうだと考えがちではないでしょうか?

そんなつまらないところで右へならえ、なんて恥ずかしいことはできません。

もっときれいな環境で走りたくはありませんか?
私は走りたいです。
だからゴミは自宅で捨てているし、ない頭をひねりながらこのサイトを綴っています。
ここを読んでくれて、ひとりでも多くのドライバーのマナーアップに繋がればいいと願うからです。

泣き言を言っても始まりません。
できることから、ちょっとずつやっていくしかないでしょう。

「この美しい国を走れることを、本当に嬉しく思える。」

いつになるかわかりません。
でも、そういえる日が来るまでは。

美しくなるように、少しずつ改めていこう。

追記(2006.01.28記)

コラムを綴ってもう6年近く経ち、少しは変わった……のでしょうか。444本目記念。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

サイト内リンク