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#435 / 2005.11.27

坊主ニクケリャ

人間は俗な生き物ですから、こんな言葉があります。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」

その人が憎くなってしまうと、その人の持ち物や考えまでが憎たらしくなってしまうといいます。

私も過去に一度だけ、「坊主憎けりゃ」に陥ってしまったことがあります。
そりの合わない人と組んでその人のクルマで各地をまわる仕事していた時、 この人と同じクルマには乗りたくないと本気で思いました。

もう、その仕事を離れて半年以上近く経ちます。
そのクルマの素晴らしさは認めるけれど、不思議なことに乗りたいとはいまだに思えないのです。

別に、クルマに非はありません。
むしろ今のクルマよりスペック的には断然上なのです。
それでも、好きになれないのです。

これは、相手にとっても自分にとっても損な状態です。
一方的な感情のみで、本当のよいところが見えなくなってしまっているのです。

感情は人を幸せにしますが、時には人を不幸に陥れます。

クルマのセールスにも同じことが言えます。
販売成績が良かろうとも、高級車を扱っていようとも、 そのセールス氏自体が嫌いだったら、買いたいとはなかなか思わないものです。
するとセールス氏の販売成績は上がらず、またそのクルマで送れただろうあなたの可能性をふいにしているのです。

とはいえ、どんなに思想やものが良くても、直感でそれを拒むのだとしたらそれは好きじゃないのです。
感情は大切ですが、闇雲に嫌悪感を抱いても幸せにはなりません。
感情のさじ加減は、本当にむずかしいです。

でも、それでいいのです。
たとえすべての人と仲良くしようとしても、本当にできるわけはありません。
世の中にはいろいろな考えの人間がいて、苦々しさを感じることも多々あります。
個人的な経験を言えば、むしろ苦々しさばかり感じています。

だからこそ面白いのです。

自分とそりの合わない人とはいえ、結局は人間です。
とんでもない極悪人でもない限り、救えるところはあるはずです。
「アバタもエクボ」とまではいかなくても、 「この人にはこんなダメダメなところがある、しょうがないなぁ」と認めてしまったほうが楽だしカッコいい。

好きではないながらも、だんだん好きになっていくイメージです。
そんなものではありませんか。

運転もそうです。
毎日同じ道や飛ばせない道を漫然と走っていると、全然おもしろくありません。
しかし、コーナーやストレートの一つ一つをおもしろがってみると、これがなかなか面白い。

減速ポイント、操舵角、そして選択するギア。
おぼろげながらも、少しずつわかってくる。
「乗せられ感」が「操作」に変わる時、急激に楽しくなります。

人も同じで、自分からの働きかけで良い方向に変化をもたらしたとき、 それがただのおせっかいでなければ、お互いに幸せになれるのです。

大丈夫です。
完璧な人間なんて、どこにもいませんよ。

大事なのは、自分から好きになろうとしてみる心なのです。

相手の欠点を大きく受け止めてみよう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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