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#431 / 2005.10.29

あるべき姿

クルマには、あるべき姿があります。

ブクブク太ったミニバンどものヌルいエンジン載せられて、足にはしょぼい純正パッド。
せっかくの骨格でさえ、オヤジセダンとの共用シャーシじゃ哀しくもなります。

フェミニンなクルマも似ています。

プライドかけて、金かけて、それでも右へならえの、ステレオタイプ。
違いといったら、つけているのが香水かファブリーズかくらいのもの。

そういうクルマがお好みなら、それでいいでしょう。
人の好みにまで首を突っ込むほど、こちらは暇ではないし野暮でもありません。

どうあろうと、知ったことではありません。
ただ数年後、ご自分で見返してみたらカッコ悪すぎて泣けてくると思います、きっと。

じっと鏡を見てみてはいかがでしょう。
映っているのは、どんな姿ですか?

レーシングカー?
ファミリーカー?
それとも、ただの営業車?

走る分にはどんなクルマでもいいでしょう。
ファミリーカーだって営業車だって、立派なクルマだしそれぞれの役目をきっちり果たしています。

でも、ぬるいのです。

しいてあげればオーラがない、ということになるでしょうか。

ファミリーカーには、今まさに燃え尽きてしまいそうな凄みがありません。
営業車には、実直だけど華がありません。

安心感や実直は当たり前です。
それじゃカッコよくもないし「華」すらも感じません。
厚みも感じられないし、なによりつまらないものです。
よく言われる「いい人」、つまり「どうでもいい人」みたいなもので、そこにいようがいまいが関係ないのです。
存在感がどんどん薄くなっていく。
ていよく言えば、嫌味がない、といったところでしょうか。

しかし不思議なもので、そういうのが意外と世間にうけたりするものです。
死とか華とかそんな一歩踏み込んだ価値観なんかなくて、安全かつ無害なものばかりが好まれていくのです。

他人の目を意識しましょう。
危ないからスピードは控えましょう。
可哀想だから結果は平等にしましょう。

こんなきれい事を耳にするたび、いやがうえにも人間の衰退を感じさせます。
その意識が、どれほど人間の活力をそぐことでしょうか。

批評怖さに尻ごみしたところで、前へは進めません。
違う世界を見たかったら、今以上のスピードをあえて出さなきゃいけないのです。
結果平等になんてやったら、いずれは誰も努力なんてしなくなってしまいますよ。

見えない壁をブチ破りましょう。

目で視て、耳で聴いて、 手で触れて、心で呑みこんで。
少しでも速く、少しでも前へ。

それこそまさに、死ぬ思いです。

そうでもしないと免疫はつきません。
そして本質もつかめません。
核心は、もっとドロドロした中にこそあるものです。

しかしそれを避けるのが、今の風潮です。

世の中がどんどん女性化しているのです。
黙ってみてれば、女うけするようなイベントや施策ばかりがまかり通っています。
そして自分だけは特例だなんて、訳のわからないダブルスタンダードを振りかざすのです。
あげく見渡せば、レディースだの女性専用なんて言葉がつくものばかり。
レディース膳定食なんて可愛いものですが、女性専用車両までくると、いったい何様かと思わざるを得ません。

体裁ばかりが重視され、反吐が出そうな媚びを見つけるたびに、つばを吐きたくなります。

すべての女がそういうわけではないし、男にだって女化している人はいっぱいいます。
これは性別がどうの、という話ではありません。
人間としてどうなんだろう?と考えさせられるだけです。

どうやって庇護されるか、気に食わないものは排斥してしまう。
こんなえらく自分勝手な発想しかできないような人。
そんな人間に、死や華が語れますか?

何度でも泣きの一手でコンティニューできる。
そんな人間に、死や華が語れますか?

少しでも縁ある人に、感謝も敬意も持っていない。
そんな人間に、死や華が語れますか?

情けは人のためならず。
他人の幸せを一緒に喜び、他人の悲しみを一緒に泣きましょう。
自己利益だけで完結してしまっている人間は、小さい器でしかありません。

きっと君は、そんなしょぼい存在じゃないはずです。
君にだって、君がまだ見ぬ、あるべき姿があるでしょう。

自分だってそう。
自分は今、自分のあるべき姿ではありません。

自分自身もっと稼ぎたいし、もっとコラムで楽しませたい。
なにより人生という名のドライビングで魅了できるのなら、まさに本望です。
その姿と比べたら、今の自分にはまだまだ足りないところがありすぎて、むしろ恥ずかしいくらいです。

仮にあと5年、いやあと10年たっても、あるべき姿には程遠いなんて言うでしょう。
自身があるべき姿をどんどん遠い存在にしてしまっているのです。
そうやって届かないくせに、必死で追いかけてるのです。

マラソンと同じです。
いつだって止まることはできます。
けど、止まってしまったらもう二度と届きません。
それは、追いかける気力を失ってしまうからです。
今を「上がり」だと思ったら本当にもう上がりだし、まだ先があると思えばきっと道は続くものです。
どこで終いにするかは、自分次第です。

ゴールは、与えられるものではありません。
ゴールは、自分で見つけるものです。

言い換えれば、どこまでも成り上がることができる、ということです。

それだけ向上心があると、目に見える変化が無いときに必ず焦るものです。
「変化もないのに何やっているんだろう」と。

きっと、それが正解なのでしょう。
あるべき姿にむかっている時ほど、見た目はほとんど変化しません。
毎日毎晩ちょっとずつそれに向かっています。
むしろ、目に見える大きな変化があったときほど、実はあんまり成長していなかったりします。

クルマの加速で考えるといいです。
ゼロ発進時は、確かに加速感が味わえます。
しかしギアも上がり空気抵抗も増してくると、加速も鈍くなり、ともすれば同じ速度を保つこともままなりません。
これと同じ状況です。

確かに限界に近い状況かもしれませんが、やり方次第ではまだまだいけます。
エアコンやオーディオを消し、もっと無駄を省くことです。
突き詰めれば、ストイックでシンプルなスタイルになっていきます。

それこそが、あるべき姿であり華なのです。
そこにたどり着くまでに、まさに死を強く意識させられることでしょう。

死や華なんて尋常じゃない表現で、すみませんでした。

難しいことなんて1つもありません。
ただ、あるべき姿に向かって突っ走っていくだけです。

華になろう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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