教育投資
残念ながら、今は、教育がおろそかにされている時代です。
公安は、ドライバーに対して弱者保護意識を持てと強く押し付けながら、
かたや子どもやお年寄りには、どの程度の交通安全教育を施しているのか、はたして怪しいものです。
例えばクルマと人間がぶつかった時、勝つのは必ずクルマです。
かといって一方的にクルマが悪いとは言えません。
ぶつかってしまう人は、いつも「自分の道」だと思っています。
だから自分がぶつかることなんて考えてもいません。
子供が急に飛び出してくるのも、お年寄りが確認せずにいきなり道を横切ろうとするのも、
「いつも使っている道だし、そこに危険はないだろう」という意識からきています。
少なくても、歩行者専用道路じゃなければ事故に遭う可能性があるのです。
本来、クルマだけでなく、歩行者や自転車に乗る人の教育も行なわなくてはいけないのですが、
今までその教育を充実させず、責任の大半はクルマ側にある、で完結させていたように思えてなりません。
ともすれば、かけた分だけの効果が表れなさそうだということで、なおざりにされてきたのかもしれません。
教育には、費用も時間もかかります。
しかも、すぐには結果が出ません。
染みついた意識や習慣を変えようとすれば、時間も費用もそれなりにかかるのです。
歩行者や自転車に乗る人に対して長期にわたって継続的に啓蒙していかなければ、
たとえ10年経っても現状と変わらないか、もしくは今よりも犠牲者が増えているのではないでしょうか。
遣うべきところは、遣いましょう。
目先の経費削減に心を奪わると、必ず弊害が起こります。
例えば今、大多数の日本企業は苦しんでいます。
成果主義と称して安易に賃金削減を図ったところ、
「教えたら私の技術が奪われるから」と評価されなくなることを恐れて後輩社員の育成をしなくなってしまったのです。
もちろん目標以上の仕事をしなくなるからという一因もあるのですが、根本的な技術が継承されなければいずれ滅びます。
つまり単に不況のせいではなく、みずから技術力を失っていることが一番の問題なのです。
交通安全教育や企業だけに限りません。
今ある費用と時間は、未来のための大事なコストです。
目先にとらわれず、長い目でどれだけ見ることができるかが大事です。
追記(2011.11.02記)
文体を変更しました。
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