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#385 / 2004.12.24

さよならマイカ

コロコロ替える人に、私は、なれません。

1台のクルマで10万km以上走りとおしたり。

深夜の高速を、5速6,000回転、フルに使い切って走ったこともあります。

セカンドカーを買って、クルマ複数台のオーナーにもなりました。

やれていないことはたくさんあるけれど、

ドライバーとしてやってみたいことはいろいろやってみました。

でも1つだけ。

さよならだけは、していません。

クルマを手放した経験だけは、まったくないのです。

小さいときから、物持ちはいいほうでした。

使っていたランドセルが、小学6年間でベコベコにならなかったくらいです。

今使っている携帯電話は、4年前から変わっていません。

機能満載の新型車に、まったく興味がもてません。

できることなら、あと10万kmは今のクルマで走りたいのです。

携帯電話やクルマは、買い替えれば今よりもっと便利になるでしょう。

けれど、そう考えるたびに手放せなくなるのです。

こわれたら、直せばいい。

替えずとも今のままでも充分じゃないですか。

なにより、愛着をリセットする勇気が、私にはありません。

だからこそ、安易に替えられない私がいます。

クルマだけではありません。

恋人だって同じ。

出会う喜びがあるということは、同じ数だけ離れる悲しみもあるということ。

なのになぜ、人は簡単に出会えたり離れたりできるのでしょう。

なにもかもが手の届くところに近づきすぎてしまったからでしょうか。

だって、今だったら、女の子の携帯電話にかければいい。

でも、それまではその子の自宅にかけなければならなかったのです。

そしてかければ、きまって向こうの父親が出てきます。

つまりその子に電話をかけるということは、

挨拶すらしていない向こうの親と会話しなければいけない、ということです。

携帯電話は、そのドキドキ感すら奪ってしまいました。

人と接触することがとてもお手軽になった反面、

離れることもまた、お手軽になってしまったのですね。

そんなお手軽恋愛しかしてこなかった人は、とても不幸です。

離れる悲しみが想像できないから、新しさばかりを求めたがるのです。

でも結局それは、物としてしか見ていない、ともとれるのです。

となりに魅力的な存在があれば、いつでも替えてしまうのです。

そこには愛着なんか、微塵もない。

それは、むなしいだけです。

この広い地球で出会えたのは、きっと何かの奇跡だと思うのです。

せっかくの奇跡なら、できるだけ大切にしたいのです。

確かに、いろいろ出会って離れてみる経験も大切だと思うのですが、

今の私には、やっぱりできません。

さよならすることが、どれほど辛いことかわからないから、とても怖いのです。

臆病でもいいです。

私には、愛着を捨てる勇気がありません。

安易に、さよならしたくないのです。

さよならを踏みとどまろう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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