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#356 / 2004.07.04

ほめるコト

ほめることは難しいです。

まず、自分の価値観でほめないこと。

こちらがほめたつもりでも、相手は必ずしもそうは感じていない場合があります。

私達一人ひとりはそれぞれ価値観が違うから、自分の価値観でほめると失敗します。
自分が「すごい、感動した」と感じていても、他の人は「たいしたことじゃないよ」と感じていることが多々あります。

例えば、免許取立ての初心者ドライバーが、プロドライバー相手に「縦列駐車がお上手ですね」なんて言うようなものです。
初心者ドライバーが「高度な運転技術」だと感じていても、 プロドライバーからみれば「基礎的な運転技術」でしかないのです。
もしもこの2人が、お互いの身分も明かさず、オフタイムに知り合ったような仲なら、あるかもしれない光景です。

次に、卑下のネタに使わないこと。

ほめることは、相手を立てて勇気づけることです。
ところがそれを、自分の不幸自慢のネタにしてしまう悲しい人がいます。

例えば「いや〜、立派なおクルマにお乗りで。それに引き換えウチのクルマは……」という人。
要するに、相手をネタにして自分の話題にもっていき自己満足したいだけなのです。

これをやる人は、気分的にとても楽です。
自己卑下だから誰も傷つかないし、そのうえ自慢までできるのです。

でも聞かされる人は、たまったものではありません。
勇気づけるどころか、不快にさせてしまっているのです。
これは、ほめることとはまったく違います。

そもそも自己卑下している人は、相手をほめる資格などありません。

そして、「ほめる」を安売りしないこと。

ほめるべきところは大いにほめていいのですが、やたらとほめることはかえって軽薄な印象を与えかねません。

社交辞令でほめる人もいますし、卑しい打算からほめる人もいるのです。
それらがすべて悪とは言いませんが、全部が全部言葉どおりには受け取れないのも、また事実です。

ほめられても嬉しくないのは、自分に関心を持たれていないからです。
言葉ヅラだけで表面的なものだとわかってしまうから、嬉しくないわけです。

本気でほめるときは、どこがいいのか具体的にほめてみることです。
全体的にほめるのではなくて、ピンポイントでほめるのです。
そのためには、ほめる対象をじっくり観察しなければ分かりません。

自動車雑誌を読んでみると、しばしば軽薄な「ほめ記事」に出くわします。
外観やら内装のどうでもいい感想だったり、 ひどい雑誌になると、筑波サーキットを何秒で走ったなんてことをほめているのです。
それを読むたび、「この記者は、本当はクルマに関心なんかないんだろうな」と感じてしまうのです。
そんな雑誌があふれかえっているのも、また事実です。

誰が見ても分かるようなところをほめているようでは、及第点です。
「きれいですね」といわれ続ける美人に「きれいですね」といっても、「またか」と思われるようなものです。

例えばエンジンをほめようとしたとき、最高馬力や最大トルクなどのエンジン性能値だけをほめてはいけないと思うのです。
作られた経緯、エンジンの噴け上がり、低回転域での扱いやすさ、燃費。
感じたエンジン性能の中で、とくに突出して素晴らしい箇所を1点に絞り、そこから具体的にほめていくのです。

じっくり観察しないと分からないことをほめていく。
そのために、関心を強く持つということなのです。

さらには、ほめて勇気づけてあげること。

人はほめられて、認められて成長できる生き物です。

相手をほめることは自分の意思でできますが、相手からほめられることは自分の意思ではできません。
だから、自分がほめられるということは、実は相手次第です。
すると、相手がほめようと思っていないから自分はほめられていない、と感じる人がいます。

ならば、自分でほめてあげればいいのです。
かつて日本代表のアスリートが言ったように、自分でほめてあげればいいのです。

世の中には自分の望まない期待をかけられている人がたくさんいます。
なにも、国を代表するオリンピック選手だけに限りません。
ごく普通の一般家庭にいる一家の稼ぎ頭や、孫を期待されている若奥様だって、 期待という重圧を背負っているかもしれません。

望まない結果を出していることに肩身の狭い思いをしている人は、たくさんいます。
そんな人たちを、ほめて勇気づけてあげることができたら、どんなにか素晴らしいことだと思います。

いくら成果が出てなくても、その頑張りは称賛に値します。

毎日1回ほめてみよう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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