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#328 / 2004.02.29

マイ・アルバム

大掃除で荷物をまとめていたら、押入れの奥深くから1冊のアルバムが出てきました。


1歳ころの写真。
ニコニコしながらクーペタイプのペダルカーに乗っています。

確か、よくペダルカーで家の近所をガラガラ乗り回していたんだって、おふくろが言った言葉を思い出しました。

3歳ころの写真。
たくさんのミニカーに埋もれています。

幼いころ、ものすごくミニカーが大好きでした。
よく親に駄々こねて買ってもらったものです。

この頃、普通のクルマじゃ満足しませんでした。
パトカーや救急車、あるいはタクシーなどといった特殊車両が好きだったのです。
自家用車よりも働くクルマが好きだったことを覚えています。

なかでも好きだったのは、キャンピングカーでした。

これ1台あれば家族みんなでどこでも行けるね。
それに、お風呂もついてるんだね。
こういうクルマなら、きっと楽しいだろうね、と思っていました。

当時、セダンとクーペとハッチバックが自家用車の主流だったことを考えると、 今の主流である背高ボディというのは、当時とても驚きだったのです。
ワゴンなんて商用車と同じような扱いだったような気がします。

ちなみに当時、実家にあったのは、4ドアの白い日産サニー。
一般的な家庭によくある、まさに普通の車種でした。

とにかく、普通じゃ物足りなかったのです。
幼心に、普通じゃつまらない、自分なら違うのを選ぶんだ、と思っていました。


あれから20年。
当時思い描いていた予想はあっけなく破れ、現実はあるべき姿に落ち着いた感がします。

初めてクルマを買ったばかりの新米ドライバーみたいです。
いろいろ雑誌や新車を見ていて、高くてカッコいいクルマばかり憧れていたのに、 購入資金や維持費といった現実を考えていくと、どんどん分相応なところに落ち着いていくのです。

なまじ期待が大きかった分、感じる寂しさも大きいものです。

そこに、かつて身近にいた友人にあったりすると、みんな自分よりいいクルマに乗っていたりするのです。

中古ながらいきなり高級車を買った友人もいるし、 大枚はたいて新車でハイパワーのスポーツカーを買った友人もいます。

それに比べ自分のクルマは、若かりし日の親父のと同じクラスのクルマ。
まさに普通のクルマです。


所持するクルマで人間の絶対的な価値は決まりません。
そして、ごくごく普通のクルマに乗っていることをバカにされた訳でもないけれど、この焦燥感は何でしょうか。


気がつくと、自分より他人の物がよく見えてしまうものです。

それはクルマに限らず、知恵や能力、経験、あるいは地位なんてのもそうです。

なまじ知っている相手だけに、ともすれば出し抜かれていく。
そしてかつての仲間が一人ずつ、自分の知らない世界に行ってしまう。
誰しもがこんな経験をしたことがあるのではないでしょうか。

例えば仕事で、同期が活躍しているのを見たとき。
また例えば、友達が自分より先に、結婚や出産を迎えたとき。

なんとなく自分だけが取り残されていく。
そこに多少なりとも、焦燥を感じてしまうものです。

でも、焦燥感を感じても、それに心を乱されたら負けです。

焦ったところで、1日2日じゃ差は縮まりません。
ならば長期に渡って差を詰めていくか、別分野で差をつければいいだけです。
心が乱れている時は1つの価値軸でしか見ていないから、なくてもいい焦燥や嫉妬を感じてしまうのです。

あらゆる価値軸で、自分がすべてにおいて最悪だなんてありえません。
短所だと思われていることが、実は隠れた長所になることだってあるのです。

人生なんて、コインと同じ。
良いも悪いも、すべては表裏一体だったりするものです。

焦ったときほど、違う価値軸を持てばいいのです。

そして例えば、10年後。
アルバムに写る自分自身を見て、あの時は訳もなく焦っていたな、と笑い飛ばせればいいのです。

未来の自分に、余裕を見せつけよう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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