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#322 / 2004.01.31

サーフィス

見まごうばかりの鮮やかな描画、実スペックから計算して得たリアルな挙動、迫力あふれるエキゾーストノート。

最近のカーレースゲームのリアルさには、目を見張るものがあります。
ボディは光沢を放ち、夏のサーキットは蜃気楼が見え、グラベル(未舗装路)走れば砂煙が立つ。
ご丁寧にリプレイまで付いているのです。

レースゲームに限りません。
今、市販されているゲームのほとんどは、リアルに魅せようと作られているのです。
3次元グラフィック、光の反射加減、くっきりした輪郭に陰影。

確かにすばらしい。
これらの視覚情報が刺激となって、人の心を魅了するのでしょう。

グランツーリスモというレースゲームがあります。
1作目を初めてプレイしたとき、私は衝撃を受けました。
街中で見かけただけのクルマが、車名やデザインそのままに収録されていたのです。

現在から見れば画質の粗さが目立つ作品ですが、既存のレースゲームとは一線を画すリアル志向作品でした。
当時、大学2年の私はレポートに追われる毎日で、ゲームなんて言葉も忘れかけていました。
そんな折、発売日当日に友人がゲットしたのがグランツーリスモでした。
このゲームすごいからと誘われて友人宅に遊びに行ったのです。

そのままファンになりました。

レースに参戦して、賞金を得て、そして改造します。
そこまでは、普通のレースゲームでもあった内容です。
でもそれらと違うのは、見聞きしたことのある本物そっくりなクルマ達が多く登場していることです。
まったく知らないものを出されるよりは、自分の知っている対象が出されると興味を引きやすい。
そんなこんなで2作目も買って、飽きるまでプレイした記憶があります。

ところが、飽きてしまいました。

正直、レースゲームとしてはすごいと思うけれど、3作目が登場したあたりから飽きも感じていました。
なぜかというと、理由は3つ。
1つは、手元でカチャカチャいじくっているよりは、実際のドライブの方が楽しいから、という理由。
2つ目に、草レースと改造の繰り返しが、非常にルーチンワークっぽく感じたから、というのもあります。

私は、バーチャルは所詮バーチャルであり、またゲームはお手軽に楽しめればいい、と思っています。
だから、生の運転が楽しいし、クリアするのに膨大な時間と攻略情報を求められてしまうゲームには負担を感じるのです。
レースゲームに限らず、今販売されているほとんどのゲームも現実世界には劣るし大規模化していると思うのです。

でも、飽きる最大の原因だったのは、視覚情報のすごさに慣れてしまったからです。

つまり、消費者の目が肥えたということです。
ドットの粗い輪郭で表現されていたものが、高性能ハードが登場したことによってなめらかな曲面で表現できる。
また光源を意識した物体イメージが表現でき、保持するデータ量が半端じゃなく増える。

こうして情報の質が向上すると、初めは良くてもだんだん慣れ、次第に新しい刺激を渇望し始めるのです。
もっと言うと、いろいろ与えられた分だけ満たされるはずが、目も肥えてしまうのでさらに貪欲になっていくのです。

例えば、コンビニの商品ラインナップがいつ行っても同じだったり、よく見るWebサイトが更新されていないとつまらないです。
要は、いつ行っても同じイメージしか得られないと刺激がないのです。
そしていつ行っても刺激がなければ、自然と飽きられてしまうのです。

本質より鮮度重視志向、の罠。

新しい情報を得ようとすること自体は、別にいいのです。
問題なのは、情報の本質に気づく前に次々と新しい情報ばかり追い求めようとしてしまうことです。

生鮮食品よろしく鮮度だけを重視していませんか。

テレビ、新聞、雑誌、ゲーム、Web。
どれも新しさが売りでしょうが、イコール価値があるものとは限らないのです。
そこをはき違えると、大事なものまで古いから価値なしと判断されてしまいかねません。

どれを取るかという判断基準はとても難しいのですが、闇雲に新しさだけを価値基準にするのは宜しくないでしょう。

本当に知らなければならないことは、真新しさで見せられた箇所ではありません。
例えば新車カタログで言うならば、見開きのカタログ写真ではなく、小さく埋もれているような諸元にこそあるのです。

つまりは、みんなが見てるような最新情報の「上っつら」だけ眺めても、ことの本質は見えない、ということです。

小さく書かれていることを、真剣に咀嚼してみよう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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