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#301 / 2003.10.28

Anti-childism

「子供が嫌いだ」

いきなりこう書くと、かならず誤解を受けます。
お前には慈愛がないのか、という誤解です。

正確に言うと、私は、子供は嫌いではありません。
愛くるしい笑顔や行動を見ると、和まされます。
実は甥っこがいるのですが、帰省するたび遊ぼう遊ぼうとせがまれるので、ニコニコしながら遊びに付き合っています。
だから純粋に子供嫌いではない、と自分では思っているのです。

それでも、電車やバス、店など公共の場でうるさい子供は嫌いです。
言葉も話せないような赤ちゃんが泣いているのは仕方ないとしても、 なまじ物心ついて来た子供だと分別つかないくせに、手に負えません。
「ママーママー」などと騒がれた日には、どうしてくれようかとさえ思ってしまいます。

とはいえ、私も幼いころは駆け回ったりいたずらばっかりしてさんざん迷惑をかけたのです。
そういう意味では、闇雲に嫌いだのなんだの言えた義理はありません。
そもそも、幼稚で人格も形成されていない子供にまで嫌悪感たっぷりで生きているわけではありません。

本当に嫌いなのは、そうした子供達と同レベルな親です。

目下の人間に迎合する気持ち悪さというか、いつまでも子供に依存しきるような態度が好きになれないのです。

母親と娘が異常に密接な、友達親子。
物事を、子供優先で考えてしまう家庭。
交通機関や店で、子供一人叱れない親。

そういう光景を見てしまうと、親は子供の鑑であれ、と強く思うのです。

クサれ子供主義。

誤解を恐れずに言えば、子供に人格なんか存在しません。

本能に忠実で、責任も取れなくて、でも人格だけは認めろというのが、小学生や中学生です。
私自身もそうでした。
認められたい欲望だけは人一倍で、でもいざとなると責任なんて背負い込むこともできなくて。
時には、言葉巧みに大人からの圧力に負けてしまったものです。

だからいつかは見返してやろう、なんて思いを抱きながら、人は大人になるのです。
それでいいと思うのですが、今の時代、子供の人格や権利なんて言葉を、それも大の大人が真剣に言っているのです。

くだらない弱者主義がはびこったおかげで、どうでもいいような意見まで汲み取るようになってしまいました。
それに加えて、蝶よ花よのお子様主義。
たかだか小学生や中学生にまで耳を傾けたところで、「毎日休日がいい」なんておバカな意見しか返ってきません。

こういう子供達を見て、まだまだ子供だなと思っていたのです。
ところがその子らの親達は、さらに子供でした。

お父さんの小遣いを削ってまで投資して、塾だ稽古だと費やしているのです。
挙句の果てには、子供のために、クルマまで無駄に馬鹿でかいミニバンだったりするわけです。
そして塾の送り迎えは、エアコンの効いたご自慢のミニバンで颯爽と駆けていくのです。

「子供のため」が錦の御旗で、聞いてもいないのに必ず「ウチの方針は」などと持ち出してくる始末。
子供はそんな親元が心地よいから、いつまでもたかり続けられる状態。
親子がそんな状態では、家族の行く末など見なくても分かります。

結局、相互依存なんですね。

親は「充足感」を得たくて子供に投資し、子供は庇護目当てに親にすり寄る。
そんなふうに見えるのです。
ミニバン現象、携帯電話の家族割り支払い、パラサイト、ひきこもりなんてのは、 親子の相互依存が具体化したものです。

ある程度、線引きが必要なんじゃないですか?


そうそう思い出しました。
私は「子供が嫌いです」。
子供と言うのは、依存することにしか意義を見出せない人のことです。

どんどん依存しあって、呆けていくだけの人間にはなりたくないだけです。
依存を断ち切る勇気もないのに、生きていけるわけがないでしょう?

ヌルい環境を断ち切ろう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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