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#30 / 2001.07.07

ケータイ

人間は、仲間と声でコミュニケーションがとれる動物です。
だから人は話ができます。

1876年、話すことへの飽くなき執念が、グラハムベルによる電話発明に至りました。
それは、音声の空気振動を電流に変換して伝える「アナログ」電話でした。

そして2001年現在、誰でも携帯電話を持つ時代になりました。
100数十年の歴史を経て、電話は進化し続けてきました。

しかし、これだけ進化し普及したにもかかわらず、マナーは非常に乏しいです。
私は、携帯電話は迷惑な道具だと思うことが、時々あります。

運転中の通話は、注意力散漫になるから良くない。
これは実際、みんな分かります。
だから、みんな気をつけています。
事故を起して相手に迷惑をかけたら、自分に非があることが明白だからです。

ところが、それで終わる人が多いのです。

バスや電車の乗客になった途端に、通話し始める人がいます。
それも自分に非は無いぞと言わんばかりに、です。
運転手ではないので、確かに事故は起さないでしょう。
でも、けたたましい着信メロディとともに、辺りかまわず大きな声で話されるのは、もはや公害であり、マナー違反です。

なぜ、着メロを長々と聞かせるのでしょう。
なぜ、大声を出せるのでしょう。
日本人の美学は「奥ゆかしさ」にあると、生まれて20数年、ずっと思っていました。

どうやら、奥ゆかしくない日本人が増えてきたようです。
着メロを聞かせたいがために、あるいは己の声の美しさを披露したいがために話すのですか。
通話する時は、他人の気持ちはどうだっていいのですか。

着メロ、大声と、自分の存在ばかりやたら強調するのは、オヤジそのものです。
女性だから、未成年だからなんてくだらないヘリクツは却下です。

電話に限らず、どんなシチュエーションでも、公の場なら他人の迷惑を考える必要があります。

これは、電話だけに限ったことではありません。
スーパーや書店で、子供を放し飼いにしている親。
ラッシュアワー時に、雨に濡れたカサを閉じただけの紐すらとめられない乗客。
街中をちんたら並んで練り歩く集団。

奥ゆかしくない。
全然、奥ゆかしくなんかないのです。

だからこそ、私は、奥ゆかしい人間になりたいのです。
私もそうですが、まず、自分の通話スタイルに気づく必要があります。

携帯電話は恥を学ぶための道具です。

周りにいる人達を思いやろう。

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