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#299 / 2003.10.16

追憶の地

私は、地図をいっぱい持っています。

コンビニで売っている500円地図や市街地図、それに地図付きの旅行雑誌。
そのほかタダでもらってくる高速道の地図なんかもあわせると、5〜6冊くらいクルマに常備しています。
そのうえ、パソコンの中には友人からもらった地図ソフトまで入っています。

はじまりは、1冊の地図でした。

免許を取った直後に、私は全県地図を買いました。
国道が赤色、県道は緑色、さらには全ページにわたって地区ごとに薄く色分けしてある地図です。
ちょうどそれが、今から7年前。

そのころは、大学に入学したての頃でした。
お金なんか持っていなくて、先輩からのお古で教科書全部を揃えていました。
それなのに、地図はいっぱしのものを買ってしまったのです。

その地図片手に、いろいろな土地を訪れました。
そして訪ねては、赤えんぴつで地図に赤マルをつけたのです。

幼い日、両親に連れていってもらった、にぎやかな遊園地。
小学生時代に家族で行った、ひなびた温泉宿。
そして彼女ができ、親に隠れて行った、あの夏の海岸。

すべて訪ねました。
その度に増える赤マル。
地図をパラパラめくると、ところどころに赤マル印が見受けられるのです。

追憶の地を、自分の足でもういちど訪ねているあかしなのです。

地図に、追憶の地を刻むのです。

遺すのは、何も旅の記録だけではありません。
出会いの記録、仕事の記録、人生の記録。

記録することで、足跡をたどれるのです。
あの時この人はこう考えていて、そしてこう行動したんだということを、 未来の自分が、そして未来の誰かが感じ取ってくれればいい。
それだけです。

例えばノートに記録するとき、いちいち記録しているときは、一字一句書くから時間がかかります。
しかもそのときのイメージで、図を書くこともあります。
図に対して吹きだしを書いたりすると、さらにもうひと手間かかるのです。

でも、遺さないと忘れてしまいます。
どんなに頭で反復して暗唱しても、あとで見返した時に、実は勘違いだったなんてこともあるわけです。

確かに書きのこす手間はかかるけれども、遺さないと再現できないし、人に伝えることもできません。
だから、眠くても帰りたくても、あるいは逃げたくなっても遺しているのです。

何よりも、自分のために記録しているのです。

人生を刻もう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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