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#295 / 2003.09.30

おみやげ

ビデオやデジカメで景色を撮る人。
お土産をたくさん買いこんでいく人。

その場その時でないと、手に入れられないものはあります。
それを遺そうとすることは、ある意味、本能なのかもしれません。

そうした「おみやげ」を手にすることは、旅の1つの楽しみです。

しかし、おみやげばかりに目を奪われてはいけません。
旅が、おみやげ目的になってしまうことほど、つまらないものはありません。

あえて、おみやげ物を目当てにしない楽しみもあります。

私は旅に出ても、あんまり買うことはしません。
とりあえず、人にあげるためのおみやげを買ったりするけど、せいぜい1点2点です。
お金を遣うのは、現地のおいしいものや景色に対してです。

どんなにおみやげを買ったとしても、10年後に見返してみたとき、そこにエピソードが思い返せなければ悲しいものです。

先日、新潟に遊びに行きました。
人に会うためにです。
そのときは、はるばる往復500kmもかけて行ったにもかかわらず、現地で買ったものは何一つありませんでした。
しいて言えば、コンビニで買ったドリンクくらいなものです。

高速代、ガス代もあわせると、結構な金額になりました。
そのくせ、おみやげは何もありません。

それでも、構わないのです。
おみやげより想い出を買いに行ったのです。

モノを遺しても、いずれなくなるのです。
まさに、形あるものいつかは滅ぶ、です。
仮にモノを手に入れたとして、それを使いこなせるモノであるとも限りません。

使いこなせなければ、私は手放します。
そうしないと、使えないものばかり遺って、使えるものがどこにあるかわからなくなる状態に陥ってしまうのです。
永遠に壊れないモノなんてないので、極論を言うと、触れたものはすべて一種の借り物でしかない、ということです。

だったら、壊れないものを遺そう、と思うのです。

クルマで恋人を乗せて走ってみる。
気の知れた仲間数人と、1台のクルマで一緒に遠出してみる。
もちろん、月明かりの真夜中を、1人で粛々と走るのも大好きです。

そうした想い出を1つずつ刻んでいくこと。
これが、コレクションよりも大事なことです。

このサイトも、そんな1つ1つの想い出がベースとなって、綴られています。
それは、けっして物欲ツアーでは得られないものです。


日産・セレナのCMでも流れていました。
まさに「モノより思い出」なのです。

どうせ買うのなら、おみやげより、想い出を買いたいものです。

想い出を綴ろう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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