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#277 / 2003.07.05

想い出の一品

少しだけ懐古にひたろう。

誰にでも、手放せないものがあります。
他人から見たらどうでもいいものほど、本人には想い出深いものだったりします。

クルマもそうで、そのクルマで想い出をいっぱい作るから手放せなくなります。

私も今のクルマは、よっぽどのことがない限り絶対に手放しません。
今のクルマは、たかだか1,500ccの小型車です。
いろんなところへ旅して、いろいろ手を加えて、いつでもコイツがそこにいる、という生活をしてきたから、 手放すことに抵抗を感じるのです。
仮に事故や維持費の都合で泣く泣く手放したとき、同じ車種が買えたとしても「コイツは違う」と感じるでしょう。

今の自分には手放せないものだから、ずっと長くとっておきたいのです。
こういうものは、大事にとっておくことで、自分が癒されるのです。

想い出品は、残せるものだけ残そう。

ただし、想い出ばかり残すのは、少し考えものです。
もう着ないような服やら、引き出物かなんかでもらったものばかりとっておく人がいます。
そして、これは想い出、それはいつか使うかもしれないから、と無造作にとっておいてしまうのです。

そもそも、「いつか」なんて、まず来ません。

あれもこれもと残してしまうのは、過去に未練たっぷりだということです。
残しておくと、いつまでたっても過去のよき想い出から抜け出せません。

よく過去にしがみついている人は、これが根底にあるように思うのです。
例えば、「昔の自分はこうだった」と自慢する人は、過去の栄光を振りかざすことでしか生きていけません。
決まって、頼んでもいない昔話をしたがるのです。

それは、想い出に埋もれてしまっているだけです。

想い出品ばかり残そうとすると、場所とお金がかかります。
押入れに置けなくて、部屋の片隅にも置けなくて、 一生懸命に置くと、今度はその空間が使えなくて死んでしまいます。
当然、死んだ空間に支払い続ける家賃のことも考えなくてはいけません。

でも、こう考えると、想い出なんか残せないじゃないかという人がいます。
残すな、とは言っていません。
想い出を残すことがいけないのではなくて、懐古ばかりで前に進んでいないことがいけないのです。
懐古するのにも限度がある、ということです。

究極は、どうしても捨てられないものを1つだけ残して、あとは処分してしまうことです。
本気で残すか捨てるかだけを考えているか、ということです。
とりあえずとっておこうとするから、懐古しかなくなってしまうのです。
それは、全部先送りにして逃げているということです。

実は、残すか捨てるかを決めるのは、あなたの生き方の問題なのです。

9つ前進、1つ懐古。

追記(2003.07.05記)

さ〜て、中古品でも売りに行くかな。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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