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#268 / 2003.06.03

クラッチ

クラッチは、安全弁です。

エンジンをかけるとき、いつもクラッチペダルを踏みます。
とくに冬場は凍るから、サイドブレーキは引かないでギアを入れて停めておきます。
翌日、それに忘れてエンジンをかけたら、ガガッとエンストします。

そんなことを何べんもやってしまった過去があります。
だから、いつもクラッチペダルを踏みながらエンジンをかけます。
大事な運転前の儀式です。

ギアを入れたままエンジンをかけることは、とても危険です。
下手すると、一瞬、暴走します。
そして、ギアも傷みます。
ガッと動いて、壁にぶつけたらへこみます。
万一、前後に小さな子供でもいたらと考えると恐ろしいです。

衝突を、未然に防ぐ。
それが、クラッチです。


クラッチは、走る歓びを満たす装置です。

例えばエンジンを高回転まで回します。
徐々に昂ぶる、回転音。
最大トルクの出る回転数まで、力強く踏みます。

そしてシフト。

刹那、こわばる左脚。
感じる、ペダルの重量感。
一瞬奏でる、空転音。

シフトがうまく決まると、ちょっと嬉しい。

意のままに操る歓び。
反応するエンジン音。
1秒後の状況に対応するシフト。

動作の一つ一つが、走る歓びに繋がるのです。

歓びを、ダイレクトに伝える。
それが、クラッチです。


クラッチは、まさに苦労人です。

板ばさみになりながらも、仲をうまく取り持つ。
つらく当てられれば、いくら硬い素材でもすり減ってしまいます。

自分のクルマはAT車だからクラッチが無い、という人もいるでしょう。
でもATの機構上、トランスミッション内部にはクラッチがあります。
見えるところにクラッチペダルがあるかないか、それだけの違いです。

今や、ベルトとプーリー仕掛けのギア無しミッションも普及してきました。
いずれ、クラッチの存在すら忘れられてしまうかもしれません。
そんな今だから、 見えないところで働いてくれている存在のありがたみを、忘れてはいけません。

サービスと同じです。

幸せになってほしくてサービスしても、相手はまったく分かってくれません。
誠意のつもりが、むしろ「もうやめてくれ」などと言われてしまったりするのです。
あまり深入りすることで、心のクラッチがすり減ってしまうこともあります。
でも、その誠意を分かってくれる人は、必ずどこかにいます。
時代劇でも有名な、名・斬られ役である福本清三さんも、「どこかで誰かが見ていてくれる」といっています。

見返りは求めず、誠意で行動する。
その生き方こそが、結果、人と人を繋ぐのです。

噛み合わない二者を、うまく馴染ませる。
それが、クラッチです。


走るとき、クラッチはそんなに意識しないけれども、実は一番がんばっています。
そして、クルマを「当たり前」に走らせることができるのです。
そのがんばりを気づかせないあたり、とてもクールです。

しかし、悲しいかな。
人間は「当たり前」のことを、当たり前だと思ってしまいます。

電気がついて、水も流れて、電車が走って、買い物できて。
生きるだけなら、現代生活に不満はありません。
でも、そのために昼夜メンテナンスを行なう人がいます。寝ずに運ぶ人もいます。
そして、給料を稼いでくる人がいるから、そういう生活も「当たり前」におくれるのです。

予防すること、仲介すること、歓びを与えること。
頑張れど頑張れど、自分の頑張りになかなか気づいてもらえません。
まさにクラッチです。

本当は、感謝してもらいたいのです。
あわよくば、見返りも欲しいのです。
人間ならば、一度は考えてしまいます。

でも、見返りを求めてはいけません。
相手に与えたいのは、図々しい要求でなく相手の歓びです。

誠意で動きつづける限り、きっと必ず、分かってもらえます。

知らないところで動いてくれる人に、「ありがとう」を言おう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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