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#252 / 2003.04.03

善意の押し売り

向こうは善意のつもりでも、こちらにとっては余計なお世話であることは多いです。

お見合いをしきりにすすめたがるオバサン。
女性を使った、胡散臭い資格セールスの電話。
水抜き剤やエンジンルーム点検を薦める、ガソリンスタンドの店員。

「間に合っていますよ」と返答しても、なおもしつこく薦められます。
さらに「○○してあげる」などと台詞を吐かれると、うんざりしてしまいます。

偉そうですね。

「してあげる」なんてのは、あなたの自己満足でしかないでしょう?
自己満足したいだけの善意なら、こちらから願い下げです。

善意だけなら、構いません。
しかし善意を押し付ける神経というのが、よくわからないのです。

先日、多摩川で発見されたアゴヒゲアザラシを見守るだの帰すだの、ひと悶着がありました。
「善意」から保護しようとする団体もいれば、「善意」から故郷に帰そうとする団体もいるのです。
それを見て、そんなのアザラシの勝手だろう、と突っ込みたくなってしまうのです。

相手が求めていないのなら、それ以上薦めてはいけません。

特に男性はそう。
女性なら、言わなくても分かって欲しいとあえて求めない素振りを見せるかもしれません。
でも男性なら、求めるときははっきり言うし、含んだ言い方もしません。

あなたは満足でしょうが、勧め方ってものがあるのです。

先日、自動車評論を載せた某文庫本を読みました。
どんな内容であれ、作者の本音が垣間見えるのであれば、多少なりとも真実なのでしょう。
しかし、これは評論ではないだろうという感想を抱いてしまったのも事実です。

「これはいい、絶対買い」
「粗悪品だから、親戚が買うときは涙ながらに止めなさい」
「買いたければどうぞ」

対象に対して、ここが良くてここが悪いとあるならまだしも、 「絶対」だの「涙ながらに」だの書かれると、もはやパフォーマンスにしか思えません。
勘繰りすぎは承知ですが、サギ教祖のような煽動を感じてしまうのです。

たいていの自動車バイヤーズガイドを読むと、悲しいかな、評論家や雑誌社の底が読めてしまう時があります。
そもそもガイドなのだから、強制でなく指針であるはずなのです。
それがクルマの感想文みたいな記事なのだったら、バイヤーズガイドでなく試乗記で充分です。

メーカーに買収されたのか知りませんが、内容どおりに本当に絶賛すべきクルマなのですか。
また、酷評したクルマに対して、そのオーナーの気持ちまで考えているのでしょうか。

自動車評論家に対して、少なからず疑念を抱いてしまいます。

私はそこまで責任とれないから、クルマの評論はできません。
愛車について聞かれたら、「最高だよ」とだけ言うようにしています。


自分の基準でつけた価値観を、他人に押し付けるのは避けよう。
また、一方的な価値観を、安易に批判無く受け入れることも避けよう。

最新流行やメディア報道。
似合わないカッコや売国記事なんて、受けつけないで戻すだけです。

受け付けないから拒否するのは、ごくごく当たり前のことではありませんか。
それでも必死に追いすがる様は、新手のカルト教信者のようです。

なぜに、自国を愛せないのでしょう?
なぜに、米国に追随するのでしょう?
なぜに、メディアを疑わないのでしょう?

プロが一生懸命書き上げた最新情報は、指針にはなるでしょうが、それが絶対ではないのです。
自分のお勧めは、自分しか知らないはずです。

もう一度、問います。

なぜに権威を妄信するのですか?

自分軸を持とう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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