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#246 / 2003.03.10

羅刹眼

何気なく生活しているだけでも、「君はこういう人だね」と決め付けられてしまうことがあります。

血液型を答えただけで、「几帳面そう」。
口数が少ないと、「怖そう」。
おっとりしているだけなのに、「何も考えていなさそう」。

しかもそれらの印象は、自分のおよそ意図しない自分像を描かれていたりします。

星座や血液型、誕生日、兄弟構成、あるいは出身地。
たしかにこれらのプロフィールで、ある程度の人物像はつかめます。

しかし、その人物像は想像にすぎません。
人間、日ごろは道化を演じているものです。
そして他人は、演じられた道化像から勝手に評価していることもありえるのです。

なんとなく与えられた情報から想像してしまうと、本質を見逃してしまうこともあります。

クルマも同じです。
エンジンがどうだ、性能がどうだということは諸元表をみれば分かります。
しかしそれは、与えられた情報から勝手に描かれた想像に過ぎません。

たとえば、250馬力のスポーツカーに乗っているとします。
すると500馬力のクルマと聞いたとき「2倍のパワーがあって速そう」と想像します。
でも、実際は500馬力のトラックかもしれないのです。
トラックでは速さに限界があります。

本質を知るには、触れてみないと分かりません。
つまり、スペックオタクに陥らないことが大事です。

人間関係でも同じです。
あの資格を持っていて、あの肩書きも取得済み。
さらに有名大学卒だから、さぞや素晴らしい方だろうと考えてしまうと、実は人間的にダメダメだったりします。
そもそも、肩書きや学歴をステイタスにしているあたり遅れています。

人を見るとき、一番見なくてはならない箇所があります。
それは、眼です。

眼ほど、人間性を映すものはありません。

真剣に向き合うとき、人は眼が輝きます。

遊び、仕事、勉強。
自分が一番興味のある対象と向き合ったときは、真剣になります。
真剣だからこそ、瞳孔が一番開きます。
だから、眼が輝くのです。

眼は、真価を秘めています。

ここで、「真剣なまなざし」と「睨み」を勘違いしてしまう人がいます。
睨めば真剣な様を、相手に見せ付けることはできます。

しかし睨みは意図的であって、虚勢にすぎません。

睨みは、たかだかパフォーマンス。
でも真価は、眼からにじみ出てくるものです。

相手の眼を見抜こう。

追記(2003.03.10記)

普段、ヘラヘラしているからって、そういう男だと決め付けられるとかなり痛いです。
常に、虎視眈々ですよ。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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