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#230 / 2003.01.08

ボリューム

やかましいサウンドと共に華美な装飾を施したドレスアップカーで走る、粋がった兄さん姉さん達を考えてみます。
ドレスアップは構いませんが、うるさいのは迷惑です。
マフラーもうるさいですが、停車中でもカーステレオのサウンドが車外に響いてきます。

カーステレオのボリュームを下げないのはどうしてだろうかと、考えてみます。
いろいろ考えてみた結果、1つの仮説を立ててみました。

下げないのではなく、下げられないのではないでしょうか。

そのボリュームに慣れてしまうから、下げられないのです。
始めは多少強い刺激でも、慣れてしまえば刺激とは感じなくなります。
刺激でなければ現状を変える必要はない、と解釈してしまうのではないでしょうか。

よく言えば、「適応」。
悪く言えば、「鈍化」です。

高いボリュームに適応できるかわりに、他の人間への配慮はどんどん鈍っていきます。
それどころか、ヘタすると腐っていくのです。

「他人への配慮ができないくせに、街中を闊歩しないで欲しい」ということです。

なにもカーステレオに限りません。
携帯電話の会話も着メロも、みんなそうです。

ご自慢の複数和音着メロ。
会話、談笑、感情などの声を使った表現。
しかし悲しいことに、それらが非常に五月蝿いものであることに気がついていないのが、当の話し手本人です。

本人に迷惑意識がないことが、一番、たちが悪いです。

上げたボリュームは、下げられません。
例え、着メロが最初小さいボリュームだとしても、段階的にボリュームが上がるのでは意味がありません。
大きなボリュームを出せることが、迷惑なのです。

まずは、音を出すことを慎んでください。
着メロは、初期設定のボリュームでも充分聞こえます。
電話性能の良くなった今では、ひそひそ声だって伝えることができるのです。
そもそも普段は大人しい人なのに、電話になると突然アピールしたがるというのは、どういう了見でしょうか?

やかましいクルマには眉をひそめるくせに、自分の電話のけたたましさには寛容だなんて、甚だしく筋違いでしょう。
はたから見れば、迷惑をかけている点ではどちらも同じではありませんか。

意識してなくても、五十歩百歩になりえることがあるのです。

自分の出すボリュームを下げよう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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