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#190 / 2002.09.26

tear drop II

命あるものに、純粋なコピーはありません。

こんな話を聞いたことがあります。

ある親子が1匹のカブトムシを飼っていました。
大事に育てつづけたものの、カブトムシは死んでしまいました。
父親は泣いてました。
そこへ、子供がこういいました。

「お父さん大丈夫。電池を取り替えればいいよ」、と。

電池のように、たくさん出回っているから「替え」があればいいや、という考え方。
もはや今では、当たり前に考えられているようです。
例えば携帯電話は、修理するより、買い換えたほうが安いくらいです。

でも、人間は替えられません。
どんなにクローン技術が発達して同じ人間が2人以上いたとします。
でも、置かれている環境でまったく異なる人生になるのではないでしょうか。

やっぱり、一人ひとり違った人格として存在するのだと思います。
そう考えると、「あなたという人間は、この世にあなたしか存在しない」ことになります。

クルマも同じ。
大量に生産された工業製品だから、お金さえあれば新しいモノに替えることもできます。
でも、実際は自分だけの1台と長く付き合っていくものです。

人間は犬みたいなものです。
気にいったモノに対しては、みずからの手で触れます。
つまりマーキングです。
愛着のあるモノを、いつでも認識できるようにするために、じかに触れるのです。

マーキングすることで、自分のモノにたいして、より一層、愛着が湧きます。
すると、この世に1つしかないあなたの大事なモノになっていくのです。
いくらお金があっても替えられないし、いくらお金を積まれても手放したくなくなるほど愛着が湧くものです。

言い換えれば、頻繁に替えてしまうモノには、愛着すら湧かないのです。

モノの気持ちで考えてみれば、分かることがあります。
とりあえずなんて気楽な気持ちで持たれて安易に捨てられたのでは、モノとて涙目になってしまいます。

この世に1つしかないモノを持つ喜びを知ろう。

追記(2011.11.02記)

文体を変更しました。

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